〈OBSESSION〉めちゃくちゃ聴きまくっています。
この記事はリリースされた当夜に更新したので、まだ聞き込みが甘い部分もたくさんあるので、今夜はあくまでその補遺として。
コンセプトの答え合わせ
ティザー見てる時はああだこうだいろいろ考えてしまうけど、いざ実物を提供されるとそれに圧倒されすぎて、自分の妄想がいかに自分だけの妄想だったのかってことを思い知らされる感じするな…実物は圧倒的に正しい…。
— 83 (@hachigatsu90) 2019年11月28日
リリースされるまで、ティザー動画や写真などで「これはいったいどういう設定なんだ…!」とか、「X-EXOのティザーみたい!勝たせなきゃ!」とか、解析エリさんたちの投稿などを見て、脳内で「EXOとは/X-EXOとは何者なのか?」といったことを割と真剣に考えがちだったんですが、いざじゃあ音源とMVが供給されてしまうと、それ以上の想像ができなくなる。圧倒的に実物が正しいなと思ってしまう。
わたしは「これは無印EXOをX-EXOの人格が乗っ取ろうとしている…!」と勝手に設定を作っていたけれど、いざMVや歌詞が公開されてみると、当たらずとも遠からずで、ちょっとどきどきしました。
「彼女を手に入れたい!俺のものになれ!」みたいな曲ばっかなのほんとダサいしそういう内容好きじゃないし魅力的じゃないよ…ってずっと思ってたから、今回めっちゃいいよ。自我とたたかうEXOって新境地っぽいよね。革命的。
— 83 (@hachigatsu90) 2019年11月28日
EXO 엑소 'Obsession' MV https://t.co/mtUeqDuwag
そう、最初、ほんとうにドン引きしたんだよ。。。
まず、カイくんの衣装が意味わからん…なぜクロップド丈…服破れてるし…なんなんこれは…と思った。で、すごいひいてた。
あと、ダンスが…「そんな腰振る必要あるんですか…?」っていう印象がね…強くて…今思えばどんだけうぶなんだよ…ってつっこみたくなるんだけど、あのときはすごくショックだったんだよ…見慣れてなかったから(今はもう慣れましたこの程度なら全然平気)。
そしてMVの小道具が「THE 男らしさ」の詰め合わせっていうのがね。バイク、取調室、バーとお酒、チェス、などなど。男の子が好きそうなアイテムがこれでもかと盛り込まれてる。衣裳もかなりハードな印象、制服っぽかったり、ライダーっぽかったり。
こういった、わりとあからさまなセックスアピールをドゥーーンパーーンダァーーンと見せつけられて、わたしはもう、これはムリだと、自分の経験値では処理できない「男らしさ」をぶつけられてしまって、思考停止。
EXOと私(未知との遭遇篇) - 愛が歪みがち日記
たまに気が向くと、歌詞の和訳を調べるのだけど、彼らのリード曲のいくつかには、相手の女の子を「幸せにしてあげる」とか「見守ってるよ」みたいな、責任感と包容力を発揮している歌詞が多くみられる。
ある意味では、「男らしい」と言われる人に期待される行為や心情を描写しているだけなんだと思うんだけど、でも、それがたまにストーカーチックな一方通行の執念みたいなものに化けているように、読み取れてしまうことがある。
このときわたしは「EXOはトラックも声もダンスも好きなんだけど歌詞だけがいただけないな…」と思ってしまう。
EXOと私(彼らのせいで、性愛に向き合ってる) - 愛が歪みがち日記
今回のリード曲 Obsession って、まったくこういう男女の色恋沙汰にかかる描写がないんですよね。私はそれがすごくぐっときています。
それに、MVには、バイクと闘牛(カイくん)、フェンシング(べくちゃん)、タイマンのケンカ(ちゃのるたん)、チェス(ジョンデ)、あるいは無印EXOの革命軍みたいな衣装、カイくん・おせふん・すほちゃん(!)の過剰な露出など、「男らしさ」をむんむんに発してはいるんだけど、なんだろう、過去の作品ほど気にならないって思った。
私の目が慣れたっていうこともあるのかもしれないけど、やはり、MV中で彼らが戦っている理由が、姫(女の子)を守るためじゃないってわかることが大きいんじゃないだろうか。もちろん Tempo のMVの中で明確に姫を守るシーンがあるわけじゃないんだけどね。歌詞がね…「俺のテンポを乱すな」「彼女は俺のメロディ」とか歌ってるわけですから…(ゾワゾワ)。
彼らが戦っているのは、あくまでも自分の中に棲みついた、あるいは取りつかれた、もうひとりの「自己」だから。そのモチーフとして、さまざまな対決がおこなわれているんだなって思うと、別にそれは「男らしさ」を表現するために採用された構図ではないなと思えるんだよな。あくまでも自分対(もうひとりの)自分。そこに「男らしさ」はさほど意味を持たない。だから私の趣味(社会のあらゆる「〇〇らしさ」による抑圧をすべからく撲滅してえ、という思想を持っているので…)をそこまで揺さぶりをかけてこないんだよな。安心して見ることができる*1。EXOでこういう表現を見ることができたことに、ちょっと感動しました。
フィクションを徹底すること
この自我とのたたかいも、あんまり生々しくなくてファンタジックな印象が強いよね。MVコンセプトのせいかもしれないけど。もっと個人の内面を抉るようなリアルな歌詞ではなく、幻想的に描き止めてる感じがいいバランスだなって思う。この年頃の男の子が演じるのにぴったり。
— 83 (@hachigatsu90) 2019年11月28日
あまりにもガチな内省や独白だと情緒不安定さが前面に押し出されてただのメンのヘラってるひとになってしまうと思うんだよなー。それをいい具合にフィクションに留めておいてるように見える。それがいい。生々しくない自我。おもしろい。
— 83 (@hachigatsu90) 2019年11月28日
わたしにとって、EXOとは自我のない器だと思ってたので、自我との戦いさえも徹底してフィクションやファンタジーになるってのがたまらないですね。そういう描き方もあるんだなと。自分の身を切るような独白ではなくとも、表現することができるって。すごいよ。ポップカルチャーの強みだよな。
— 83 (@hachigatsu90) 2019年11月28日
先週BTSの話を書きましたけど*2、彼らはまさに個人の内面を歌詞に書き込むタイプの曲作りをしている。創作であることはまちがいないのだけれど、そこに書き込まれているメッセージ性などは、あくまでも彼らの「本心」と感じられるように構成されている。だからこそ、EXOなどのSMグルとは違って、自我の生々しい表出を感じるし、それがある意味世界的に受けている理由でもあるのだと思う。とりわけ、社会から排除されやすく、孤独や自己否定感を抱きやすい(ヴァルネラビリティの高い)マイノリティ的属性(性別とか人種とかアイデンティティに強く影響するような)を持つ子たちにとっては、とても救いになるのだと思うの。これはこれで、ひとつのポップカルチャーの効果だと思う。気持ちを飾らずに率直に表現するコンテンツに触れることで救われることは、まちがいなく、ある。私自身はむしろずっとこちら側の表現に救われることのほうが多かった。
一方、EXOにはそういう個人の自我を表現の中で表出することは求められない。むしろ徹底してコンセプトの世界の中に没入し、それらを演じ切ることで成立するのがEXOだと思う。新規ペンには到底追いつくことのできない複雑な設定(太陽系外惑星からやってきたどうのこうのとか…)を保持しつつ、そのときどきのトレンドは取り入れながら、新鮮なフィクションを作り上げるっていうのは、そう簡単にできることではないと思うんだよね…。だって、そこで表現するのは「自分の感じたこと」とか「自分の気持ち」みたいな、存在の核があってこそのメッセージではないから。そもそもなにもないところから、フィクションを生み出す。それってすごい想像力だと思う。
そんなEXOが「自己」を表現しようとすると、そうか、こういう形式になるんだなと思いました。
すなわち、あくまでも設定はファンタジックなフィクション。その世界の中だけに存在する無印EXOのメンバーとX-EXOのメンバーという人格に仮託して、戦わせてみる。あくまでも寓話の世界の話になる。
「EXO」という器の中にぶち込まれているメンバーたちの内面は、器の中にいる限り、問われることはない。「ない」ものとして扱われている。だからこそ、彼らがMVやステージの上で、自己の葛藤を歌ったところで、それはすなわちメンバー各個人それぞれが内面で戦っていることではないと、わたしたちははっきりと区別できる。
この、「区別できる」ということの安心感の効用っていうのが、おそらく、あるのだと思う。完全にフィクションであるということの安心感。生身の人間を使った表現だったとしても、あくまで演じるコマであるということ。その生身の人間の核心部分は問われない(のだと思う)。だからこそ、その世界だけをみつめることができるし、消費することもできる*3。
K-POPって、韓国という国の特性なのか、それとも輸出産業として世界的な人権意識を踏襲すべきという商業上の戦略なのかわからないけど、ポップカルチャーのなかに積極的に「社会的な正しさ」を描きこもうとするところがあるなあと思うんだけど(これは文学や映画でもそうらしい)、今回の〈OBSESSION〉はある意味、EXO的な「社会的な正しさ」への応答なのかなとも思っています。フィクションの世界を徹底すること。あくまでもこれはファンタジーであるということ。現実とは区別すること。
まあ、なんか、そういうことを感じました。私は。
御託を並べるのはこれくらいにします。
ジョンデにうっとりしちゃうの
そういう意味でもK-POPキングだよな。器はあくまでも器。コンセプトを受け止め、消化し、演じ切る。その力の深さ。とんでもねえグループだよ。顔面のこととか忘れて聞き入ってる。とくにobsession → trouble → jekyll → groove の流れが好き。
— 83 (@hachigatsu90) 2019年11月28日
ジョンデペンのくせに、ジョンデの声が活躍する Day after Day や Butterfly effect よりもヒップホップ強めな曲のほうが好きなんですよね…なんでだろうね…ジョンデの声はすごく印象的だし、すげーってなるんだけど。不穏な雰囲気のあるトラックが好きだからかなあ。そしてわたし、聴けば聞くほど、trouble が好きになります…。。。
そんでね………(もごもご)
やっぱりX-EXOの、X-CHEN様…(うっとり)
もうなにこれええええええええええええもおおおおおおおおおおむりむりむりむり…
MVのジョンデ様のお化粧がすごくすごくすごい。アイラインがっつり引いて眉毛もチークも濃いめで、くちびるもちょっとオーバーなくらい塗ってるのかな…ふるふるしてる…そして口にカフまでつけちゃってさあ…おみみにもキラキラついてるし…インナー着てないし…髪の毛ガッチガチに固めちゃってさ…もう…もうねえ…やだやだやだ…こんなジョンデが存在できるなんて…うう…つらい…すき…すき……
何の違いがあるのかもわからないキャプチャ画像をたくさん撮ってたくさんあつめてたくさんトリミングしてたくさん並べてうっとりしています。
はあ、すき。
もうほんとやばあああい…すき…だめ…
何がどう好きかとか説明する気さえ失せる…うっとりしちゃう…。。。
無印CHEN様もかっこよいでございます…すき…
ああ…でも刺激が足りない…刺激が…
きょう、新宿のタワレコに行って、現物も手に入れてきました。
オンラインで1セット注文し、1セットは発売日当日に店舗に買いに行くことに、前回からしています。
商品棚を見に行ったら陳列されていなくて、あれれ、と思ったんですが、スタッフカウンターに大量に積み上げられている〈OBSESSION〉を見つけて…ぐへへでした。
それぞれ1つずつ購入し、特典のポスターをもらって、ほくほくして帰宅です。重かった。大きさからも、ちょっとした辞書持ち歩いてる感じになった。
なんかでも、帰りがけにさ、ちょっと思い出した。10代の頃、好きなバンドの新譜をさ、フラゲ日の火曜日に様子を見に行ってさ、試聴したりしてさ。水曜日がポイント2倍デーだから、一晩は我慢して、次の日買うの。あれを家に持ちかえって、プレイヤーで聴いたときのわくわく感。あれを思い出した。今はもうなき、地元のタワレコ…。都心部の店舗と違って、私の地元にあったタワレコは、メインストリートから少し外れたおしゃれで古めかしい雑居ビルの4・5階にあったんだよ。若い子が入るには勇気がいる建物だった。なつかしいな。あの頃は音楽とラジオだけが生きる楽しみだった気がする。
毟られた前髪
EXODUEX はまだつづくってことなのかな…今度こそX-EXOを勝たせたい…そんなわたしは完全にX-EXO-Lですね…😎🔥👍
しかし、しかしです。
おうおうおうおうおうおう…。。。
髪の毛が…前髪が…(なくてもかわいいのはとうぜんのことなんだけど)
さすがです…ここまでバチバチにくみ上げてきたコンセプトを台無しにするほどの大胆なカットも厭わないそのジョンデの心意気は………すき………(だけど前髪くるくるで歌うジョンデも見たかった…なんてそんな…贅沢なことを言ってしまう………)
これ、X-EXOバージョンのステージの再生待機中の画面なんだけどね…。。。
ジョンデ様のおかしいところは、前髪がこんなこと(?)になってしまってもセクシーを隠し切れないところです。すきです。
前髪なんてどうでもいいです。
好きです。
以上!はあ!12月!やばい!2019年終わってしまう!
*1:「男らしさ」を押し付けるということは、その反対に「男"ではない存在"」に対して、「男」ではない存在であると規定し、「男」ではないことを示すふるまいをすることを求める…それがすなわち「女らしさ」。「女」であるということは私たちにとってはうまれながらに自明なことではあるんだけれど、「女」として生きる上でのふるまいの規範は「男」を基準に構築された社会が前提になっている。平等に「人間」としては存在しない。わたしは平等に人間として存在したい。だから「女らしさ」をぶっとばしたいし、同時に「男らしさ」もぶっとばしたい
*2:
*3:もちろん、そのフィクションの世界の外側で、演者である彼ら自身のプライベートな部分が完全に守られることが前提なんだけどもね。そこが侵害されるなら、安全なコンテンツではない