水面にゆらめき風に微笑むあなたへ

ウリキラキライケメンナンバーワンリダのすほちゃん、ソロデビューおめでとうございます!!!!!!

 


SUHO 수호 '사랑, 하자 (Let’s Love)' MV

 

 

さっそくアルバムを聴いた感想をまとめたよ!とはいえ所詮他ペン(頭のおかしいジョンデの女)の感想だから!なのにいつも通り長文だよ!興味のある方は、暇つぶし程度にお読みいただければさちでございますううう(最近おぼえたけみお師匠のマネ。けみお師匠ほんとにすごい)

 

 

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このティザー写真が一番好きだった

 

 

 

透明感と鋭さ

いやあ、透明感がすごい。EXOのボーカルラインの中でいちばん声が高いと思うんだけど、こうやってまるごと1枚すほちゃんの声だけを聴き続けると、このハイトーンの尊さがじわじわと染み入ります。バックのバンドサウンドの壮大さと、やや鋭さを感じる彼の声がうまく調和されているなーと。

さっきVLIVEでバンドセットで歌っている動画を見たんだけど、新鮮でした。EXOって、生バンドというより打ち込みピコピコ加工してナンボ~みたいなところあるけど、こうやって生っぽい演出をされると、「こういう演出もできるのか!!!ほう!!!新たな姿を見せてくれてありがとう!!!」という気持ちになります。

 

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ユンナさんとのフィーチャリング曲はミュージカルやディズニー映画のワンシーンみたいだなと思いました。そういえば、すほちゃんって、ドラマ仕立てな歌が上手っていうか、わたしはそういう曲を歌うすほちゃんをみると「すげえ」って思うことが多いですね。それこそ、チャン・ジェインさんと共演した「dinner」が私は大好きなんですけど、あれもすごくドラマっぽさを感じる。

 


[STATION] 수호 (SUHO) X 장재인 'Dinner' MV

すほちゃんがこういうプライドの高そうな高慢ちき男を演じてくれてると興奮する癖があります(モラハラ男に弱い本性がくすぐられるんだと思う…)。

 

そうね、ジョンデがストーリーテラーで、べくちゃんが「エリの彼氏」だとしたら、すほちゃんは「俳優」なんかも。でもなんでかなあ、歌っているすほちゃんに対して「演じている」感っていうのか、何か自分とは遠いもの演じている印象を受けない。ミュージカルとかドラマはまた別なのかもしれないけど(すみません見たことないのでわからない…)、歌っているときのすほちゃんって、なんか演じているようで実は演じてない感じがするんだよね…。

 

 

水を描く/すほちゃんを描く

すほちゃん、EXOの超能力設定をソロでもきちんと引き継いでいて、ティザーでもとにかく「水」を前面に出してくるなーと思ってたんだけど。

実際にアルバムを聞いてみると、超能力としての「水」を意味しているというよりも、自分を映す鏡のような「水面」であったり、砂漠のような人生の中にあらわれる「オアシス」であったり、あるいは人間の身体を構成する「水分」であったり、EXOとしての彼の象徴的なモチーフを用いつつ、より幅のある解釈ができるような対象として「水」を選んだのかなと思いました。

特に「水面」というのが重要なのかな、と。自分の姿が映るものとしての水面。なんかギリシャ神話になかったっけ、そういう神様、水面に映る自分を見ちゃうやつ…*1

 

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こんなこと言ってスホペンさんにブチ切れられそうなんですけどね。すほちゃんってさあ、EXOの中でもわりと自己愛が…ナルシシズムに溢れている…と思うんだ………ああああこれディスってない!!!ディスってないよ!!!むしろこの自己愛の強さがすほちゃんをここまで引きずり上げてくれた要素なんだと思うんだけども…。

すほちゃんって、自分の美しさやかわいさやチャルセンギョッタな部分とか、生真面目なところ、強迫的なまでの努力を課すところ(「死ぬ気でやったか」エピソードなど…)、その結果として手に入れた自分の地位や能力について、非常に誇りを持っているんだろうなと、私には感じられます。さらに加えて、リーダーとして、あるいは男性としての責任感を、肯定的に捉えているんだろうなと。

聖母的な部分もありながら、それでいて父権的でもある。それをひとことでいうと「包容力」になるんだろうか。わたしの中では、せふんちゃんにやさしいまなざしを向けているすほちゃんや、去年のアンコンでジョンデをハグしていたすほちゃんが頭に思い浮かぶんですけど…。なんていうんだろう、「自分が背負うんだ」という覚悟がね、すごく、感じられる…気がする*2…んだけど…いやわかんない…私は彼のことを本質的には何も知ることはできないし、スホペンさん以上に彼のことを考えたこともないから、彼のことを理解するにはあまりにも彼との思い出が少なすぎる…あくまで他ペンの私(しかもエリ歴1年)の見たすほちゃんのイメージでしかないんですが。

 

とはいえ、どうしてもね、私が抱いていた彼へのイメージ(自己愛のかたまり)が、今回の水モチーフによってとても華麗に適切に昇華されているんじゃないかと、どうしても思ってしまうんだよね…勘違いかもしれませんが…。単に超能力設定をなぞったんじゃないんだってことが、わかる気がするんです。はい。

 

 

 

鏡のなかに映ったあなた

さて、「水面」についてもうすこし踏み込みたいと思います。いやむしろ、わたし、この話がしたくてこのブログ書いているようなものなんですけど。

リリース前のこちらのインタビュー動画から、少し引用します。

動画だと3分ごろからの話です。

www.vlive.tv

――収録曲のうち「自画像」の原題が「盗作」だったと聞きました。どうしてこのような強烈な単語で作詞を始めたんですか?

習慣というのは本当に怖いと思います。人と人が長い間会ってると、お互いについてよく知ってて、自分も知らないうちにその人とした行動、自分が以前にした行動を「盗作」する気がするんです。そういう考えから始まったんですが。

例えば、僕とセフンは同じ部屋でほぼ7年間一緒に暮らしました。寝る前の習慣とか、起きてすぐやってたこととか、それを、セフンと同じ部屋じゃなくなってから1年以上経ちますが、僕も知らずに繰り返してたんです。人と人の関係において、情が芽生えて、近くなって、言わなくても全部通じ合う仲になると、断絶された関係になっても、自分も知らないうちにその時の習慣を繰り返すみたいなんです。でも正直、繰り返して、僕がセフンを思い出しても問題になることはないですよね? でも、別れた関係にあって、もちろん元恋人との思い出が彼から思えば幸せな思い出だけど、別れてすぐは正直忘れたいのに、自分も知らないうちに繰り返される行動や考え。普遍的に考える「盗作」という悪い言葉が思い浮かんだんです。
(中略)
僕の顔を描いているのに彼女の姿が入ってる。忘れたい思い出でもあるけど、幸せだった思い出もあるから、語感の強い言葉で表現しないで、「自画像」と美しく表現したとき、効果的に、もっと人々に響くし、胸が痛くなるかもしれないと思いました。それで「盗作」という仮題を「自画像」に変えました。*3

 

このエピソードを聞いて当然「せ、せ、せ、セジュンフォーエバー…」ってなるんですけど、それはもうどうしようもなくそうなんですけど、まあそれは脇におくとして、このすほちゃんの回答がね、人間の自己形成の本質をついているなーと思ったんですよ。

私自身も、過去に自分が関係してきたいろんな人たち(家族、友だち、先生、好きだった人、などなど…もちろんえくそちゃんもそう!)と関わる中で、その人たちの習慣や仕草、趣味嗜好などが自分の中に巣食っているなあと思います。忘れたいことも忘れられずに、でもだんだんと濃度が薄まりながら、思い出になっていく。でも、思い出はどこかやっぱり「自分」を構成する一部になっているんだよな、と。いやなこともいいことも、何につけてもそうなんだろうなと。これを「盗作」って表現するすほちゃんはすごく面白いなと思ったのと同時に、今回のティザー写真なんかを思い出して、「あ、そういえば」と思うことがありました。

 

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「鏡に映った自我」という理論を唱えたクーリーという社会学者がいるんですね。この理論をすごく乱雑に説明すると、わたしたちが鏡を使わない限り自分のこの姿かたちを見ることができないように、人間の自我というのも、「他者」という鏡を通してでないと知ることができない、すなわち、他者によって自我というものが形成される(他者がイメージしている自分の姿を想像しながら自我を認識・形成する)んだ、というような感じです*4

 

鏡…鏡に映る自分…あっ…水面映る自分…水面…水……自画像………はっ!!!!!

すほちゃん!!!!!!!!!

 

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これは鏡というよりガラスだね。。。

彼のソロで描かれているのが、恋人同士の関係ではなく人間としての愛である、というのはご本人がおっしゃっていることですし、このあいだのVLIVE生配信のときもエリへの愛をこれでもかこれでもかと訴えてらっしゃったすほちゃん。

エリたちがすほちゃんに対して抱いている気持ちを、すほちゃん自身が受け取って、内面化して、表現に落とし込んだ結果が、今回の「自画像」っていうことなのでは…そういうペンとすほちゃんの間の相互作用…っていうか愛の交流を…すほちゃんは描きたかったんじゃないか…?????

そう…すほちゃんはさ…エリという鏡を見て、EXOのSUHOを作り上げてきたんだろうね…エリのことを見つめながら、彼自身がいったいどういう存在であるのか、それを描き続けようとしていたんだね…だから「自画像」は、すほちゃんの自画像でありながら、それはすほちゃんを通して描かれたエリの姿でもあるっていうことなんじゃないだろうか……。(まってクーリーの議論とだいぶずれてない???大丈夫???)

 

そんなことをね、昨日、お風呂でアルバム聴きながら思ったのです。コンセプト考えた人、ここまで織り込み済みなのかな…だとしたら本当に最高だなって思います…というかさすがえっせむ…コンセプト構築力がはんぱねえ…。。。早く本体を手に入れたいです…今日発送されたっていうんだけどいったいいつになることやら…。

 

 

すほちゃんが愛し合いたかったのは

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すほちゃんのソロ活動、彼の歌うメッセージに込められた意図や、彼のふるまいから、やはり「ああ、彼はお別れの準備をしているんだな」と、私はどうしても想像してしまいます。昨年、しうちゃんがシンポユでめちゃくちゃプライベートのキム・ミンソクのすがたを晒して、エリの心へ棲みつこうとしていたのと同じように、すほちゃんはこれでもか!これでもか!と、EXOのSUHOとして、また人間キムジュンミョンとしての愛をエリにぶつけている…いまここでどうしても愛し合わなければならないタイミングに差し掛かっているんだろうなと。

もちろん、そんな想像はしたくないです。したいわけがない。したくてやってるわけじゃない。どうしようもなく直面する現実に対して、どうしようもなく、そう反応してしまうだけで。

K-POPを聞き始めて1年半ほどしか経っていないのですが、その間にしうちゃんとギョンスがいなくなってしまったわけなんですけど。なんか、こうやって「送り出す」(この表現がいいのかどうかも分からない…)のが「あたりまえ」になってよいものかどうなのかと、もやもやします。ナムグルペンにとってはあたりまえの通過儀礼なのなのかもしれません。考えすぎず、さらっと受け止めたらいいことなのかもしれない。

でもね、なんだろう、そうやって深く考えずに受け止めてしまうことが、本当に正しい反応なのか? そうじゃないんじゃないか? 私はしうちゃんのときからずっと考えている気がします*5

hachigatsu90.hatenablog.com

わたしはただただ、すほちゃんが、そしてEXOの彼らが、毎日健康で、自分のやりたい活動をすべてやりつくして、同時に個人の幸福も追求し続けられることを、勝手に祈ることしかできないんだよな。

 

 

というわけで他ペンの勝手な解釈を滔々と書き記してきました。くう、ほんとファンってやつは勝手にいろいろ妄想して、勝手にイメージを決めつけて、勝手なことばかりを書き連ねる、本当に手に負えない存在だよ!!!!!!!!!こんな頭でっかち新参エリさえきっとすほちゃんはその大きな愛で許容してくれるでしょう!!!!そう信じてるぜ!!!!!以上!!!!!!セジュンフォーエバー!!!!!!!!!(え?)

 

 

*1:ナルキッソスであってるだろうか。あんまり詳しくない。ナルキッソスとは - コトバンク

*2:逆に、この包容力が私にとって支配性の強さに見えることもあって、怖いなって思うことがあるんだな…

*3:公式でついている日本語字幕を丸々転記しているので、正確なニュアンスまでは分からないです!すみません!

*4:社会学大辞典』および『社会学文献事典』、コトバンクなどを参照しました。原著を読んだことがないので、わたしのこの解説が本当に正しいのかは保障しません。また、こちらはだいぶ古典的な理論で、その後ミードやなんかに引き継がれ、自己論とか相互行為論としてもっと洗練された議論に進展しているはずです…しかしそこまでこのブログでフォローしても需要がないのでやりません

*5:他国のことに首を突っ込む前に、自分の住んでいるこの国のいろんなしくみをどうにかしろよ!!!とも思うんだけれどね。というか最近はもっぱら、韓国のいろんな事情に首を突っ込む前に、自分の住んでるこの国のことにリソース割くべきでは?などと考えています。