「私のけーぽオタクライフはもう限界かもしれない」という個人的でつまらない悩みについて

私がK-POPを聴くようになって4年が経った。

2018年の秋にBTSの存在に衝撃を受けて、年末年始から2019年の初めにかけてはEXOとチェンくんの魅力にすっかりはまって、あちこちコンサートに飛び、CDを買い、グッズを買い、パンデミック下でもCDを買い、グッズを買い、オンコンを見て、SHINeeが好きになり、GOT7も好きになり、何人かの兵役をお見送りし、お迎えをして、KWANGYAの意味不明さに翻弄され、ようやくオフコンにも行けるようになってきて、の、今、私はどうも、どうもこの、K-POPとともに歩んできた4年間のライフスタイルに限界を感じているみたいだ。

 

 

 

 

限界を感じる理由① お金がない

一番大きな動機が「お金」なのは間違いない。

お金がない。

いや、厳密にいうと、「私自身が自分の裁量で自由に使ってもいいお金」がない。

切実な問題である。

チェンくんが入隊した頃に人生がぶっ壊れて2年、まだまだ回復の途にあり、2022年の今、ようやく、のたのたとした歩調で、再び仕事をがんばろうとしている。

だけど……このスピード感で、いったい、いつ、経済的自立にたどり着けるのか……自分一人で稼いだお金で生活していけるようになるのか、まったく予想ができない。毎日途方に暮れているし、毎日落ち込んでいるし、自分を責めている。

2018~2020年のころ、バキバキに働いていた自分*1のようには、もう二度と、戻れないのではないか、と、薄々、感じている。

そうなると、だ。

2018年以降、いわゆる「けーぽのオタク」になってからやってきたこと、つまり、CDを欲しい分だけ積むとか、チケット代が1万円を超えるコンサートに連戦・場合によっては遠征もするとか、出るグッズ網羅するとか、そういう、今まで「オタク」としてやってきた、いろんな楽しかったことが、もう、できなくなる。のでは。ないか。と。

パンデミックで公演がなかったこと、海外渡航禁止になっていたこと、チェンくんが兵役中だったことで、課金に対する切実さが2021年から減少していたんだけど、今、渡航も自由になり始め、チェンくんの歌手活動も再び動き出そうとしている。

でも、自分はまだ、2年前のショックをひきずったまま、おろおろとしている。

今回のチェンくんのCDも、自分が思うように買うことができていない。悩んで悩んで、何度も計算しなおして、迷って迷って、枚数を決めた。なるべく損が出ないように、と。

「やっと戻ってきた推しに積めない、課金できない」—―—これが自分の思っていた以上にストレスで、ショックだったみたい。

 

 

限界を感じる理由② 「自分が試されている感覚」へのしんどさ

それと同時に、これはちょっと想定外だったのだけど、GOT7のJAY Bくんにはまってしまったことが、「おれ、オタク、もう無理」と思った理由のひとつでもある。

ジェイビくんの沼に落ちる予定はなかったんだけど落ちてしまったからもうしょうがないので毎日ジェイビくんのことも考えているんだけど(?)、こちらがもう、なんというか、課金する機会がチェンくん以上にたくさんご用意されていて、そのたびに……なんていうんだろう………「自分が試されている感覚」になるんだよ。

所詮私も、美しさを目の前にして判断能力が狂ってしまったオタクの端くれなので、複数種類のポカを差し出されたら全部そろえたくなるし、ショップ別に特典がつくなんて知ったら全部の店舗分ほしくなるし、ヨントンあるといわれたら応募したくなるし、そういうイベントのお知らせが毎日のように流れてきては「もしかしたら自分にもチャンスがあるのでは…!?」「お、おれは、どれだけ、どこに、金を払えばいいんだ!?!??!」と、そわそわしてしまう。

もちろん、ポカは全部そろえきれていないし、ショップ別の特典も集めなかったし、ヨントンは外れたんですが(ボーダー超えるほど積まなかったから当然ですがね)、でも、「課金したら楽しいことがある」という現実には抗えなかったわけですよね。まんまと吊るされた人参に釣られた馬(午年だもんね、俺)。

特にジェイビくんの場合は、ガッセがあり、ソロがあり、Def.があり、と、1つのグループだけを追っていればいいというわけではないので、そのたびに課金について考える必要が出てくる。

それに、94年生まれの彼は、来年以降しばらく活動がなくなるだろうと思うと、「今が最後のチャンスかもしれない…」って思ってしまう、思ってしまうから、やっぱり、チャンスがあるなら課金したい、応援したい、って、なってしまう。実際、来日公演は昼夜公演とも参戦したし。グッズ販売がなかったから、出費はチケット代だけで済んだけど…VIP席について自分のなかでひと悶着あったことは確か。あれは、でも、まあ、金というよりも、社会的信用の問題から諦めざるをえなかったんだけど*2

あ、これ、別に、ジェイビくん本人が課金を迫っているわけではなくて、ジェイビくんのコンテンツを売る人たちが消費行動を煽ってきて、それに自分が動揺してしまうっていうことで、それがしんどいっていう話です…、そこは誤解がなきように…、ジェイビくん何も悪くない…。

 

 

限界を感じる理由③ オタクのライフスタイルと私の生き方の相性が悪い

私はオタクがよくやる「すごい浪費」みたいなことをほぼしないし、したいともあまり思わない(ただ、見ている分には刺激的なので興味深い、と思ってしまうので、俺、性格悪いなと思う…)。

そもそも私は浪費家の気質がほぼゼロ、財布のひもは固いほうで、何にどれくらい使ったかは基本的に管理したいと思っているし、衝動買いもほぼしない。何なら、ほしいものさえ買わなかったりする。食べ物をきちんと食べない・買わないとかね…*3

この2年間でけーぽオタク趣味に使っていたのは、生活費と分けて貯めていたお金だった。今は人の金で生かしてもらっている立場だし、自分の楽しみのためにお金を無心するほど、自分は肝が据わってない。

カツカツに生きることは今に始まったことではなく、ずっと前からそうだった気がする。もとをたどれば、「非正規雇用・不安定就労でたくさんお金を手に入れられない」という現実があったから始めた行動なんだけど、その後も経済的にゆとりのある生活がやってくることがなく、すっかり板についてしまった。

それなのに、「けーぽのオタク」という、お金をかけることが心の充実につながりやすい趣味に出会ってしまった

運が悪かったのだろうか。

自分のライフスタイルや考え方と合わない趣味だな、と、薄々わかっていたけれど、ここへきてやっぱり、どうなんだろう、自分はこのままでいいのか? と悩んでしまう。


チェンくんやEXOや、その他いろんな好きな人たちのコンサートやイベントがあれば行きたい。生の音楽を楽しみたいと思う。好きなアーティストが増えれば増えるほど、行ってみたい公演はどんどん増えていく。EXOだって、SHINeeだって、ガッセだってそうだけど、今は韓国のHIP HOPとかも好きなので、そっちの人たちのライブにだって行ってみたいと思う。

CDやグッズも欲しい。それは売り上げに貢献したいというよりは、コレクター心というか、フィジカルのアートワークも楽しみたいし、できることならポカコンプリートしたい、みたいなことなんだけど。

お金を出せば出すほど、満足度が高まる。

しかも場合によっては、相手との距離も縮められる可能性もある(ヨントンなり、VIP特典なり、現地に飛ぶなり…)。

でも、自分は、むやみやたらな浪費が苦手だし、現実的にも、できない。

チェンくんのカムバとジェイビくんのカムバ&コンサートで、そういう自分の生き方とオタク的ライフスタイルの相性の悪さに、改めて向き合ってしまって、「ああ、もう、私、かなり、しんどい」と思ってしまった。

 

 

 

「浪費しないオタク」の存在は可能か

「そんなにしんどいのならもう手放せばいいのでは?」と冷静に思う自分もいる。

けーぽオタクをやめる。

それしかもう道はないのではないか。

音楽が好きな気持ちが強いなら、音楽だけ聴ければいい、SpotifyYouTubeだけ使っていればいいじゃないか。

フィジカルだって1枚だけ買えばいい。

お金がないなら、コンサートに行けないのは、仕方のないことだし。

自分がお金を持っていないからいけないじゃよ、お金のかかる趣味を趣味にした自分があかんのじゃよ、という話だ。

でも、コンサートに行けないというのはかなりつらい。やはり現場で生の音楽を浴びることほど楽しいものはないから。

 

オタクをすることは、金を稼いで使い続けることの繰り返しなんだと、私はどこかで思っている節がある。

だから、たとえば美しいこと、もの、音楽に感動したり、それを自分の体内で醸成させたり、味わったりすることその行為自体だけでは「オタク」と言えないように感じてしまう。

やっぱり、「カネを惜しみなく使う」ということが、オタクという趣味には重要な気がしている。課金だ、課金が重要なんだ、と、どこかで思ってしまう。ほしいものを欲しいだけ買うこと、ほしいだけ買って推しに還元すること、そういう盲目的な行動こそが「オタク」であって、「音楽を味わいたい」とか「世界観に浸りたい」とか、そういう抽象的な体験みたいなものを楽しむだけなら、なんというか、「オタク趣味」とは呼べないんじゃないか…そういう楽しみ方をする人(というか自分)は「オタク」とは言えないんじゃないだろうか…。

もちろん、「解釈」とかを始めてしまったらそれは「オタク」的行為なのかもしれないけど、「解釈」とかそういうのを抜きにして、ただ、自分が「これめっちゃいいじゃん!!」と感じたものに触れてたい、という、初期的な、生々しい感覚は、「オタク」という言葉では説明できないような気がしてしまう

 

お金を使いまくり、現場に通い詰めて、自分の人生を満たしていくことが、「オタク」という生き方なのだとしたら、ああ、今の私は、オタクに向いてないんだろうな、と思う。性格としては分析癖みたいなものがあるし、「いい!!!!」と思ったものを言語化したいという衝動は強いほうだと思うから、「オタク」になりやすいほうだとは思うんだけど、「お金の使い方」という面での適性はないんだろうなと思う。適性っていうか…なんだろうか…条件が満たされていないというか…何か欠落している感じがするんだよね。

 

 

 

オタクを廃業するにはあまりにも好きなものが多すぎる

そんなわけで、最近は、「今回のチェンくんのカムバとジェイビくんのコンサートに行ったら、私のオタク人生はおしまいだな」などと、思ってしまっていたわけです。

そしてその気分はまだなんとなく続いている。

決してEXOやチェンくんやその他たくさんの好きなアイドルや歌手やラッパーたちがどうでもよくなったわけではなく、むしろ全然どうでもよくない、自分の憂鬱な毎日を救ってくれているのはみんなが生み出してくれた音楽なんだけど…。

あまりにも「どうでもよくなさすぎる」がゆえに、自分の生活スタイルをオタク的に調整できない、つまり、「お金をたくさん稼いでたくさん使う」という一連のサイクルを私自身が回せないのが苦しいのかな、と思う。

もうオタク続けられないよ~苦しいよ~でも音楽は好きだし美しいものをもっと浴びたいよ~、と思ってしまうからこそ、どうやって、この、けーぽの消費システムというか、カルチャー全体に横たわる、競争主義というか、拝金主義というか、そういう価値観と適切な距離を保っていけるんだろうかと、悩むのかもねえ。

 

オタクを(オタクも?)廃業するのかどうか、今はまだ決められていないし、決めることでもないと思っているけどねえ。

むしろ私は、好きなものでも、だいたい3年も熱中すれば自然にフェードアウトしていくことがほとんどだし、決定的に自分と価値観が合わないと思ったら触れなくなるタイプでもあるので*4、まだそうなっていない、むしろ粘着しているということは、オタクを続けたいってことなんでしょうね。でもどうやって続けていったらいいんでしょうね。うーん。困った。悩んじゃうね!

 

 

 

 

 

 

 

*1:といっても一般の会社員ほども働いていなかったと思いますがその分もらう金額も少なかったのでね!

*2:自由業者クレジットカード作れない問題。でも、同じ自由業者でも、法的に結婚していて配偶者が会社員とかだったら作れるらしい…。結婚って最強の社会的信用なんだねえ…

*3:あと最近は本をめちゃくちゃ我慢している

*4:結果的にBTSはそうなってしまった、自分がめちゃくちゃつらかった時に明るい曲を歌っていたのがしんどくて見れなくなった