〈Delight〉という毒(あるいは、彼について思いめぐらすこと)

 

 

みなさんこんばんは。元気? ごはんたべてますか? わたしはようやっと仕事の締め切りをたおしたので、こうやってブログを書くことができています。

 

 

 

 

 

ジョンデの存在を日々感じながら生きながらえてるよ………。

なんだろ、私がジョンデのことを忘れなければ、私の頭の中でジョンデの存在のイメージをふくらませつづけていれば、彼が公の場に姿を見せようが見せまいが、わたしにとっては彼は「ここにいる」ことに変わりないんだなって、改めて感じました。すきだー。

 

 

 

 

ううう、ジョンデが好き…ジョンデが好き…やっぱりわたしはジョンデが好き…彼の人生を…彼が彼の望むように…生きられるように祈るしか…うう…すきです…すきです…どうかわたしの知らないところで健康で幸せに過ごしていてね…あなたのやりたいことはなんでもやってね…あなたの望むことがすべて満たされますように…わたしはただただ遠くから祈ってるよ…おこがましいことなのはよーくよくよくわかっているけど、それでも、あなたの存在が頭の片隅にへばりついて離れないのよ。だからせめて、祈るくらいはさせてほしい。それ以外の介入はしたくないのだから。ただ、想いだけ寄せさせてね。勝手にごめんね。でも大好きです。私の知らないところで元気にしていてね。

 

 

まあこれは毎日思っている、毎日思っているんだけど、今急にまたぐわああああああっと気分が盛り上がってきた。なぜか。そう。ベッキョンのソロ2集を聞いたからです。

 

 

 

 

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ベッキョンが怖い。本当に怖いと思った。

これからその理由について書きます。

昨日の別ブログ*1に書いたのと同じようなことを言っているのですが、まあ、この気持ちは、他人が見たらおそらく「愛」とはいえないんだろうな、と思うので(私の中では「好き」をめいっぱい表現するために必要な感情なんだけども)、他人のベッキョン評に興味関心がない、あるいは「みんなのアイドルビョンベッキョン」が大好きな方は今すぐ戻って!!!!!YouTube再生しに行ってください!!!!!

 

 

 

 

 


BAEKHYUN 백현 'Candy' MV

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたはどこにいるの?

Twitterでも過去の記事でも何回か言及してると思うんだけど、わたしにとってベッキョンは「何を考えているのかよくわからない人」なのだ。

彼自身に何かものすごい強い思想があるとか、どうしても表現したい世界があるっていうよりかは、「EXOのベッキョン」というイメージを演じきることに命を賭けてるようにみえるんだよね。そのための歌であり、ダンスであり、キャラクターであるように見える。

彼のね、彼の本心っていうか、本質っていうのか、核心部分っていうのか、それがどこのあるのか、よくわかんないんですよね。

自我がないわけじゃないんだろうけど、むしろハングリー精神は強いほうだと思うんだけど、そのハングリーさがいったいどこから発生しているものなのかが、いまいち私の目からはよくわからないんだよね。

それは去年のソロデビューのときからそうで、あの時も「彼はいったい何を考えているのかわからん」みたいなことをずっと思ってた。そしていざ音源を聞いてみても、やっぱり何を考えているのかわからなかった。よくわからないけど、「エリ」たちのことをずっと見ているのだな、ということは、理解した。

 

“UN Village”もそうだけど、どの曲もべくちゃんの運転するAudiの助手席に乗ってるみたいな気分になる。べくちゃんがどこかに連れてってくれそうな感じ。

でも不思議なのはさ、どの歌詞にも「彼女」的な、「あの娘」的な、相手が想定されているわけだけど、その女の子像がすごく空っぽな感じがするんだよな。あれ、どれだかに、そういう歌詞があった気がするけれど。“Stay Up”だったか。“Ice Queen”も凍り付いたあなたを溶かしてあげる、っていう感じだし。

べくちゃんの手(というか声)によって優しくされると、空虚がうまったり、ガチガチに凍った精神がどろどろになったりする。

べくちゃんはそうやって、たくさんの「あの娘」たちを救っているんだろうな。それが彼の仕事なのかもしれんね。

最高を、みせてあげるね - 愛が歪みがち日記

 

これは〈CITY LIGHTS〉を聴いての感想だったんだけど、私の中で彼のソロっていうのは「ベッキョンの運転するAudiの助手席に気だるげに乗ってる女の子(ただし付き合ってはいない)になる」世界なんだろうなって。そういう「夢」にどっぷり浸かって「勘違い」を楽しむコンテンツ。ベッキョンのことを転がしているようで、実はベッキョン(とえっせむ)の掌の上で踊っているだけ、っていう。そういう関係性の味わいを、売り買いしているんだよなって思っていた。

 

この世界観は2集も続いてるなって思いました。

ただね、甘さがよけいに、増している気がします。

 

ベッキョンのコンセプトはおそらく本人も楽しんでやっているんだろうけど、「みんながどれが好きかわからないからぜんぶやってみた」っていうあたりに、「え?ペンの趣味嗜好を気にされてらっしゃる?待って、ベッキョン。あなたはどう思うの?あなた自身の趣味はどこにあるの?」って思ってしまうんだよね。

ベッキョンは「あなたの望むアイドルベッキョンを演じてあげましょう!」という、ある種他人のニーズにこたえることで悦を得ることができるタイプなんだろう、というのも分かるんだけどね。それが職業的快楽によるものなのか精神的な安定のためなのか、わかりませんけど。

アイドルの甘味と毒性/自分のやりたいようにやりな - ばらばらな備忘録

 

彼はエリのことをドロドロに甘やかすことに関してはほんとうにほんとうに巧妙なのだな、と思わされる。エリの見たい「ベッキョン」をすることに長けてる*2

 

 

 

あまい夢の果てのゆがみ

さっき、タイトル曲の歌詞の日本語訳を探して読んできたのですが、ぞわーっとしました。怖いって思ったんですよ。正直。ホラーかよ、みたいな。いやこういう世界が好きな人にはめちゃくちゃ申し訳ないんですが。

たまたま最近ふぉろわさんたちと、ベッキョンの「優しさ」は毒になることもあるよね、っていう話をしたばっかりだったのもあると思います。彼が相手(というかエリ)の求める姿や行動を強く志向すること、しかもそれが本人の精神的安定のためではなく、ただただ「楽しい」し「難なくできる」ゆえに、過度なプレッシャーにもなりえない(ように見える)っていうあたりに、彼の危うさがある。このベッキョンとエリの関係の危うさみたいなものが、わりとそのまんまタイトル曲の世界観になっているなって思ってしまってだな…。

 

思い通りにならない世界で、ベッキョンだけが「わたし」の思い通りになってくれると思っているひとが、どれだけいるのか私は知らない。ただ、ベッキョンは「君の望んだように」を演じるのがうますぎる。うますぎるから依存性が高いのだ。彼があたかもわたしたちの思い通りに生きる存在なんじゃないかと、勘違いさせられてしまう。そんなわけがない。彼はショウビジネスの上でわたしたちを手玉に取っているのだ。私たちにおいしいアメちゃんを与えて、感覚を麻痺させているんだ。

エリを想う彼の優しさは甘くて毒になる。それを分かっててガリガリかみ砕いて飲み込むのと、無意識に舐めて溶けて脳みそをドロドロにしてしまうのでは、全然、見える世界が違うんじゃないかと思う。

アイドルの甘味と毒性/自分のやりたいようにやりな - ばらばらな備忘録

 

おそらく、おそらくだ。これは私の推測だけれど、おそらく、彼から与えられたキラキラ光る甘くておいしいキャンディを、与えられたままに口に含んで溶かしてしまうように、彼の歌う歌詞の中にいる「君」に自分のことを当てはめこんで、その世界の中にだけしか生きられなくなってしまう子が、かなりの数いるのではないか、と。べたべたにベタな解釈をしてしまう子たち、が。

ベッキョン自身も、こちらが彼との間に甘い夢を見ることを否定しないだろう。むしろ、こちらがどんなに頑なになっても、強迫的に追っかけてくるんじゃないかとさえ思う。「こっちの世界は気持ちがいいよ」って。頭でっかちに理屈をこねまわす私のようなやつにだって、彼はきっと手を伸ばしてくる。だってそれが彼の職業的使命だから。

まるで自分が彼に想われているような歌詞も、あらぬ想像を掻き立てるようなセックスアピールも、それを「演じ切る」のが、彼の仕事だから。

 

でも…甘い夢が、キラキラした勘違いが、呼び寄せてしまうゆがみがあるじゃないか。

 

私はどうしてもそっちに目がいってしまう。彼がそうやってどろどろに溶かしてくれることに興じるあまり、彼という存在が、もっと広くとれば「アイドル」という存在が、私たちファンにとって思い通りになってくれる、どんなことがあっても私たちのいうことをきいてくれる、都合のいい存在として、そこにいてくれるって、ファンに信じ込ませてしまっている気がするのだ。ファンの抱くイメージの通りに演じるお人形のようになってしまう。そうして「アイドル」は「人間」ではなくなっていく。その結果をわたしたちは経験したんじゃなかったのか。違うのか。

 

本当のところ、わたしたちは、カネを介在させることで「関係性」とか「愛」とか「癒し」を、売り買いしているだけなのではなかったか。それはつまり “有償” の愛だ。カネを払って夢を見て、カネをとって夢を見せている。私たちが結ばれることができているのは、カネと数字があるからじゃないのか。

 

そういうシステムなんだっていうのを、一歩引いて眺めてしまう。

 

 

「優しい」は毒だよ

ベッキョンから与えられたキャンディを、ぺろりと舐めてみたら快楽に脳がのっとられる。でもそれは一瞬のことで、その人工的な味わいにすぐに舌がびりびりと疲れて、がりがりと砂糖のかたまりをかみ砕いてしまう。味わえば味わうほど、体中に毒が回って、抜け出せなくなってしまうから。彼の「優しさ」があたかも自分に向けられているような気がしてしまうから危ない。

 

ベッキョンはエリとドロドロに溶け合うのがお上手だ。私だってほだされる。ただ、わたしがベッキョンの甘さに持続性がないのは、「そんなに私の顔色をうかがってほしくないんですが…」という冷静さが上回ってしまうからなんだと思います。私の思う通りになんて生きなくていいです、って、引いちゃうんですよね。効果は分かるんだけどね。即効性は高いと思う。瞬間最大風速的な強さもある。ただ、すぐ忘れちゃう。私が彼に望むイメージがないからかもしれない。彼に投影してみたい世界がないからかもしれない。理由は分からない。とにかく彼への気持ちは持続しないのだ。好きなんだけどね。好きなんだけど。これは毒だから、吐き戻してしまうんだと思う。

アイドルの甘味と毒性/自分のやりたいようにやりな - ばらばらな備忘録

 

私はベッキョンが好きだよ。彼の音楽が好きですよ。EXOがだいすきです。だいすきだけど、それがときどきすごく毒になる。

 

「その毒を皿まで食らいつくしながら、楽しむ覚悟があるの?」って、ベッキョンに聞かれているみたいだ。毒を毒だとわかって飲むのか、何も知らずに依存するか。エリはそれを試されているんじゃないの? 誰にとっても優しいベッキョンだから、遠回しに私たちを牽制してきてるって、わたしは考えすぎるほどに考えてる。それもまた勘違いの一種なのかもしれないけれどね。でも、それくらい防御しておかないと、わたしはまたころっと依存のほうに転がっていってしまうと思うから。

 

 

 

 

 

 

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どう聴いても毒なんだよな。

 

 

 

 

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ちなみに、わたし、いちばんすきなのは “ghost” です。へへへ。

 

 

 

 

 

 

 

*1:アイドルの甘味と毒性/自分のやりたいようにやりな - ばらばらな備忘録

*2:その点、ジョンデとは真逆っちゃ真逆なんですよね。ジョンデソロはエリが見たい姿を見せようっていうより、自分の中にある歌手としての目標とか、自分の世界を表現することに力点が置かれている。そういうところが私にとってジョンデの魅力です。はい。好きです