CHENくんと私(2020年10月26日をとりまく個人的な記録)

 

私のいちばんだいすきなEXOのチェンくんが軍隊に入りました。

 

私はちょうどいま、公私でいろいろな波に巻き込まれていてそこを必死にもがいている状態で、チェンくんの新曲 “Hello” のことやいろんなことを書きたかったんだけど、時間も気力も何もなく、ブログを書けずにいました。

 

この数日にいったんエアポケットに入ったので、このすきに、ここ数週間に私が考えていたこと、チェンくんのことも、そうでないことも、ここに記録しておこうと思います。

 

 

底本になったのは、私が個人的につけている手書き日記です。もともと公開することを目的にして書いているものではなく、自分の脳を整理するためにつけているものです。

そこからチェンくんのことに触れている箇所だけを抜粋して、日付順に並べました。再構成するにあたって多少表現を調整しましたが、基本的な内容は変わっていません。

だいたい24,000字くらいなので、読む方は覚悟して読み進めてください*1

私個人の苦悩の話もあるので、そういうのに興味のない人とか、影響されやすい人は、いますぐアンニョンのビハインドのネコちゃんを見に行ってくださいね!あとは自己責任でよろしく頼みます!

 


CHEN 첸 '안녕 (Hello)' MV Behind The Scenes

 

 

 

 

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2020年10月6日 寝る前
ジョンデのソロコン、EXO9人のTEMPO、生ルーカス、BTSのソウルコン。これを達成するまでは死ねません。

 

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2020年10月10日 朝
8日に、Aprilお姉さんとお茶をして、ジョンデのこととかいろいろ話し、そしたら深夜にデジタルシングルのリリースがきて、やったー!! となった。うれしいね。それもあってか、その日の夜はとても安心して眠れた。チェンくんが歌手として活動してくれることが何よりもうれしい。

 

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2020年10月12日 深夜
ジョンデのソロコン、BTSのソウルコン、9人TEMPO、生ルカスを見るまでは死ねない。

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12日 早朝
5時過ぎに目が覚めて、ああもういいや起きちゃおう…と思い、温めた豆腐を食べようとして、同時にTwitterを開いたら、チェンくんのシングルティザーが更新されていて頭撃ち抜かれた。シングルだけ出してアンニョン兵役行ってくるよ~(月内)と思っていた身としては、まさかきっちりティザーが用意されているとは思わず…というか期待してなかったわけで…だからなんかもうびっくりしちゃって、もちろんiPhoneのホーム画面変えたし、ロック画面も変えましたよね。1年ぶりに。ホーム画面見てて思わず拡大しそうになるからヤバい。

昨日、夜、ぜんぜん眠れなくて、もういっそ死んでしまいたい、この世界からいなくなりたい…と思っていたのに、3時間寝て目が覚めたら「生きててよかった!!」ってなる自分のことが本当に信用ならねーな、と思いました。自分の感じる「生きたい/消えたい」があまりにも気分に左右されすぎて、それについていくのも疲れちゃうところがある。

よいこと、よいものだけを選んで見ていられたらよかったのだろうに、今の私には、そうもいかないからな…。

チェンくんはヤクみたいなものなので、瞬発的に効いてはくれるけど、本質的に変わらないといけないのは自分なのよな。

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12日 夜
仕事ぶっとばした、先輩へのメールもきちんと送った、久しぶりにお昼に白いご飯を食べた、ジョンデのティザーも見た。

なのに今の私はつらくて仕方ない。しんどくてしんどくて死んでしまいたい。未来のために生きるための行動をひとつひとつやりながら、私はそれでももう死にたいと思っている。今この瞬間が無理だ。未来があることはわかっていても、今ここに自分が生きていることが許せない。

 

2020年10月13日 朝
チェンくんのティザーを見てもニュースを見ても心が動かない。画像は保存した。NCT2020は通勤電車で聴くつもり。

 

2020年10月14日 早朝
チェンくんのことを見ているうちは、「生きねば」ってなるし、バンタンの新譜も予約した。WayVの写真集もルーカスとヘンドリー予約して、なんならクンちゃんさんとウィン子さんも買い足そうか、SMショップでジョンデのソログッズ出るかな? と思って、カネを支払う想定をしている間は、とりあえず死ぬことは先送りできる。

でも、これが根本的な解決とかではなく、あくまで目くらましというか、自分の人生にカネが必要=労働が必要という枠組みのなかで生きざるを得ないから生じている感情のような気がしている。生活することだけを考えていたらつらいので、やめて余暇を作ろうとしているんだけど、仕事を失えば余暇どころじゃないのにね。まあ現状でも余暇楽しみきれない程度の収入しかないし、元気もないのだけれど。オタアカ疲れるので見ていない。1回目のティザーだけ反応したけど、そのあとはなんか…死にたい気持ちがぐわーっときてしまって、楽しいことについていけなくなってしまう。楽しいことのためには、つらい労働をしないといけなくて、そのために私は動かないといけないのに、今の仕事にすべてを奪われてしまってつらい、という。いったい何のために生きているのかよくわからない。

カネを中心としたエコシステムの中でぐるぐる回遊しているだけの存在で、私個人という自我は、いったいどこにあって、それはきちんと外部から守られているのか、私にはよくわからない。

  *

死にたい気持ちと、それでもチェンくんはすばらしい、という気持ちを行ったり来たりして、つらい。

 

2020年10月15日 早朝
死んだらもう何もしなくていいんだな、と思う。

カネのことも、家族のことも、仕事のことも、自分の人生や依存心についてのことも、もう何ひとつ考えなくてもいいんだなーと思うと、すごく憧れてしまう。早く死にたい。もうこんなことしていたくない。

でも死ねないんだろうな。ジョンデのソロコン、BTSのソウルコン、9人EXOのTEMPO、生ルーカスを見るまでは死ねないもんな。

でもずっとその往還運動なのがしんどい。死にたい、死ねない、死にたい、死ねない、その繰り返し。死ねないのに、そのためにやらないといけないことがハードすぎて、それに耐えて生きていくとか、もう今の自分には無理、って思うんだけど。

そうやって「死にたい」「消えたい」「もう無理だ」という限界の気持ちと、「まだあれしてないから死ねない」という希望の乖離がすごいというか、なんというか、距離がありすぎて、そこを毎日毎日行き来しているのがしんどいよね。もうこの往復をやめてしまいたい。「自分」という存在がいなくなれば、私の抱えている苦しみはすべてなかったことになるのだから。他人の悲しみなんて知ったこっちゃない。みんなそうやって私に気を回さなかったんだから、私だって気を回す必要ないだろ。そういうふうに扱ってきたのは会社や家族たちじゃないか。私を都合よく利用して。

「都合よく利用されること」以外の生き方がわからなくなっている。私の自我はいらないよな、とか。私の志とか、そういうものを丁寧に読み解いてくれる人が、職場にはいなかった。悲しい。そんなものだよビジネスなんだから、と、言われてしまえばそれまでなのですが、それで納得できない私がやっぱりダメなのだろうか。

ひとつのことを考え出すと、すべての答えが「私の気にしすぎ」に行きついてしまうため、「私が気にしすぎるからダメなんだ」と思う方向に進んでしまう。私自身が自分のことを「ダメ」と思ってる。だって、不要な人材だってわかってるのに、一生懸命はたらいちゃって自滅してるんだもん。ダメ人間じゃないか。

それを隠してはたらくのがしんどい。誰も「そんなことないよ」しか言わないし、言えないし、私を助けてはくれないから。自分の認知の歪みは自分で助けるしかないのに。なのにまわりに期待する自分がばかばかしくていやになる。本当にいや。いきていたくないくらいにもういやだ。

  *

誰も私を必要としない世界に行きたい。誰も私に依存したり、都合よく利用したりしないところに行きたい。もう何もかもいやになってしまった。

なのにジョンデのソロ曲カムバがあるから死ねないんだ。つらい。

死にたい⇔死ねないの往復がしんどい。

***

15日 寝る前
かかりつけ医に「死にたい⇔死ねない」の往復の話をした。仕事を辞めたほうがいいといわれた。死にたくなるような気持ちにさせるところに留まり続けることはないって。もったいないって。せっかくできるのにって。

そうだな、と思って、でもどうしていいかわからない。責任が…というか、自分の仕事をどうしたらいいのか。で、よくわからなくなったからとりあえず寝た。

目が覚めたら17時くらいだった。18時にチェンくんの新曲リリース。23時半過ぎまでSpotifyでずっと流し続けた。MVを見ると悲しみが深くなりすぎてしまうから。TLも見られなかった。ほかのエリ、スンディンイと共鳴してしまうのがつらくて。

自分の世界にこもって聴いていた。

 

2020年10月16日 昼過ぎ
今日は食欲がある。朝、パックの白ご飯をたべることができた。こんなにスムーズに食べられたのはいつぶり? っていうくらいに、ちゃんとおなかが空いた。

その後また少し寝て、起きて、Twitter見たら、チェンくんの軍入隊が発表されていた。10月26日とのこと。転役は、早ければ2022年の4月。長いなー。2021年まるまるいないんだなー。

でも思ったよりショックでもないし、悲しくもないんだよね。なんでかはわからん。私の人生じゃないからかな。そこまでチェンくんの人生に自分の気持ちを重ねてないのかも。あと、私がこの2年ほど見てきた彼のすがたを考えると、きっとどこへ行っても元気に過ごせるだろうし、最善を尽くすだろうという信用があるからかな。わからない。でも、今まで聞いてきた入隊のニュースの中で一番動揺せずに受け止めることができた。慣れてしまった、というより、相手を信頼しているからこそ、無条件に信じているからこそ、受けとめられているんだろうなと思う。

でも反面、軍服姿の写真、軍内部のようす(同僚とその知り合いを介してのタレコミなど)、食事のメニューとか、そういうの、絶対に見たくないんだよね。一応アイドルとはいえ、その期間は一般人と同じように生活させてあげたいとおもってしまう。軍生活までコンテンツとして消費したくない。

国の武力機構の中に、兵卒として組み込まれるという事実も、本当は承服しかねるのだ。そもそもなぜ戦争をしないといけないのか。成人男性を徴兵して軍事力を維持しなければならないのか。そういう政治のこと、国と国の外交関係に関する、なんというか、一般論としての違和感や「おかしいよね?」という考えは、全く拭い去れない。
軍服はかっこよくない。あんなの、人間を1国のコマとして操るためのお仕着せの衣装なのだ。アイドルやるより健康的な生活を送ることができるのは、人間としてありがたいかもしれないけど、そもそも兵卒は「人間」として扱われている存在ではないだろう。表面的に安心できるサービスが整っていたとしても、それは一種の監視的な、ソフトな生-権力っていうか、私たちがはっきりと自覚できない形での監視と消費になってしまうのではないかと思ってしまう。

特に、「見せる」ためのすがたではない彼を見るのがとてもいやだ。でもきっと、他の子たちのようすからするに、どうしたって流れこんできてしまうのを防ぐことはできないだろうし…。

アカウント閉じてもいいかな、と思ったりもするんだけど、それだとまるでチェンペン辞める、みたいな感じがしていやだし。ブログも書き続けたいけど、チェンくんがいなくなってしまったら次はいったい誰のことを面白がればいいのかわからない。私をここまで引きずり落したのはチェンくんで、チェンくんじゃないと埋まらない気持ちがって、でもそれを呪いのように唱え続けて何になるんだろうか。D-XXXをやっても虚しいだけ。

そもそも「待つ」ということが、私にとって大切なことなのかもわからない。熱は持って3年。そのあいだにEXOがどうなるかわからない。将来のEXOのことを考えると途端に虚しくなって、何も書きたくなくなってしまう。

私は私で、2021年を、なんというのかなあ、チェンくんのことを恋しがる以外のことで満たさないといけないなと思う。目標が必要っていうか…自分の人生を生きてあげる必要があると思うんだよね。まさに今こうやって体壊してるわけで、仕事もちょうど失うし、私がこの2年積み上げてきたものがいったんすべて失われる。それはチェンくんの活動がなくなることも含めて、私自身も生き直す必要に迫られてると思うんだよな。チェンくんがチェンくんの生きる社会で求められること、義務を全うするように、私は私で、別の国で、私が「こうなってほしい社会」みたいなもののために、動く必要がある。で、今の自分はそのためにも、自分自身のことを守ってあげないといけないから、助けてあげないといけないなって思うんだよね。

で、そのために今自分ができることって何なんだろうねーと思うと、仕事……仕事をこのままにしておくのか辞めるのか……最後までやり遂げるのか…乗り越えるのか…決めるのは自分なんだよね。そこをしてあげないといけない。自分のために。

昨日からずっと考えてるけどやっぱりわからなくて、とりあえず今日は仕事休んでゆっくりすることにした。
  *
チェンくんの幸せも大事だけど、私の健康も大切だよな。

チェンくんのことを想うように、自分のことも受容してあげたいものだ。

***

16日 夜
Twitter見ていると、みんなチェンくんの入隊にショック受けてる感じ。逆になんで私こんなに平気にしちゃうんだろう。自分の気持ちを述べても仕方ないと思っているからなのか、それとも「慣れて」しまったということなのだろうか。よくわからない。ただ、私が心配しても事態が動くわけでも好転するわけでもないので、じっとしているだけ。

そりゃ、兵隊になんて行かせたくない。軍服姿なんて見たくない。銃を持たせたくない。人殺しのための訓練なんかさせたくない。それが「国防の義務」であったとしても、そんなことをするために、人殺しをするために、彼らは生きてるわけじゃない。

もちろん、アイドル・歌手としてのキャリアが断たれるという問題もあるだろうし、チェンくんの場合は家族のこともある。でもそれはあくまでチェンくんとその家族たちのことでしかなくて、私には何の関係もない。

私は、歌手のチェンが見たいのであって、一般市民キムジョンデの生活に興味があるわけじゃない。だから空港写真とか、友人のインラとか、なるべくプライベートなものは見ないようにしてきた。で、10月26日以降はほぼすべての日々がプライベートになる。そうなれば、私は、彼のことをなるべく目に入れたくないと思ってしまう。応援はしたいし、大好きだけど、今までのような近さでいることは、よくないんじゃないかと思ってしまう。

そうやって距離を置いてしまったら、私はチェンくんのことをすっかり忘れてしまうかもしれないなー。そんなことも考える。兵役で推し変とかありえない!! って思っていたけど、多少でも恋心のような熱しても冷めうるものが絡んでしまえば、そして「商品」としての旬が過ぎてしまえば、私はもう、チェンくんのことを不要だと思ってしまうかもしれない。自分にとって好きなものへの情熱が続くのってだいたい3~4年程度で、10年を超えてずっと好き、というものは、おそらくほとんどない。星野源フィッシュマンズくらいか? でも前者は生死にかかわる時期を経験したから、今はもうほとんど聴かなくなったけど応援はしている、というスタンス。後者は、永遠に新しいものが現れない(佐藤伸治はもういない)から、そこで止まっているだけ。具体的な商品としてずっと追っているわけではなく、気持ちの問題でしかない、というのもなんともいえない。

チェンくんに代わる存在なんて、私にはいないので、片手間にWayV見たりはするけれど、きっと本命のようにはならないだろう。

だからこそ思うのは、アイドルという商品を消費することに人生の愉しみを見出すことは危険なんだろうな、ということだったりする。都合よく自分に合った「誰か」を選んで応援するという形式が、やっぱり苦しいというか…たとえチェンくんのように才能に惹かれて惚れてしまったのだとしても、キャリアが、こうやって「国民の義務」という形で断絶されることが、人としてではなく「商品として」価値が目減りしてしまうような気がして…。そして何となく自分の中にある、「消費している」というあの自覚が目を覚ましてしまう。

どんなに相手のことを「人間」として関わりたいといったところで、所詮私たちは消費者なのだ、と。

自分の嗜好に合った商品を選んで買っていることを正当化させたいだけなんじゃないか。

私は私の気持ちが信用できない。私の気持ちを一番信用できないのは私。

チェンくんのことは信じられる。他ペンの子たちが何を言おうがかまわない。みんな好きにしたらいいと思う。つらさも悲しみも、みんな自分の好きなように発したらいい。

でも、私は、事実を受け止め、相手の意思(報告)を尊重するくらいで、それ以外に何ができるというのだろう。

なんだあかなあ、ジョンデが結婚したときとも似てる。

ただ私は相手の人生を尊重したい、というだけなのだ。チェンくんが決めたことを応援すること、私ができるのはそれくらいのことだと思う。

今の、今のここにいる私は、チェンくんのことが好きだし、応援したい。でも、未来の自分が何を考えているかはわからない。その空白のあいだを私はチェンくん以外の誰かを推すということで埋められるのか? 12月にはしうちゃんが戻ってくるし、1月にはギョンスも戻ってくる。そうしたら彼らのことを応援できるし、それは悪いことではないと思う。チェンくんの代理というわけではなく、EXOの誰かを応援できるありがたさみたいなものだよね。

結局、どんなに考えても、今のこの2020年10月16日の私にとって、チェンくんを超えるほどの魅力をもった人が現れないのだ。仕方ない。

そしてもしそれ以上の人が現れてしまったとしても、それもきっと仕方ないんだと思う。それが私の気持ちなんだと思う。

  *

それとは別途、やっぱり半島情勢というのか、世界の軍事的な問題のこととか、国際関係についての基礎を押さえる勉強はしたい。世界史的な文脈も学び直したい。チェンくんをとりまく社会や政治というものが、いったいどう成り立っているのか、勉強したいなあと思う。でもどうしたらいいのかよくわかんないけど、チェンくんの姿を追いかける時間を、勉強する時間に引き換えてあげる時なのかもしれない。

  *

チェンくんの幸せを祈るように、私もチェンくんのように、肯定的に生きたいなあと思った。そう思えた時間は本当に幸せなことだった。今でもこれからも、彼のことを尊重したい。

そして、彼のことを想う心のように、私も私自身のことを大切にしたい。

 

2020年10月17日 昼
2022年になってもなお、自分はチェンくんのことを好きでいられるのだろうか、私は正直自信がない。兵役中の彼の姿は見たくない。ステージの上で歌っているところだけを見たい。そうやって考えると、もうこれはペン卒ということなのか? ペン休止ということなのか? という気分になってきてしまって、自分の意思の弱さにげんなりしてしまう。彼の見せるつもりのない姿は見たくない。でもきっと、彼の意思とは反したところで流れてくるんだろうな、集合写真とか、と思うと、それもめちゃくちゃしんどい。というか、軍隊というものがいやだ。

オタアカ辞めようかなーというのもありつつ、別にEXOが嫌いになったわけではなく、いまプライベートでもしんどい状態の中で、健康的に応援できる元気が私にはないんだろうなと。

この気持ちの言えなさってなんていうか…

 

① 自分の気持ちがわからない
② 軍隊というシステム、あるいは「国防の権利」「軍隊をもつ権利」というものが、知識としてわからない

 

この2つがごっちゃになってる感じはあって。

②について勉強したい気持ちはあれど、それをこれ以上掘り下げてもチェンくんの現実は変わらない。

①はもう、自分で見つけるしかなくて、ただまあ、尊重するよ、というだけなんだが…「自分は悲しい」「つらい」「いやだ」と言う立場にないなと思ってしまって、それ以上言葉が出ない。「健康でけがなく、過ごしてね」としか言えない自分。それが遠回しに、兵力とか軍隊というものを肯定してしまっているのではないか、という恐れがある。私はそれらを肯定しない。していない。絶対に嫌だ。そんなものなくなればいいと思っている。

でも、そこに彼を、正しく送り出そうとする自分は、いったい何なんだよ、と思う。「行くな」とも「逃げろ」とも言えないし、言う権利もない。言ったところで誰も幸せにならない。

私たちは、生まれ落ちた社会の中で、選べること、選べないこと、その中からひとつひとつ考えて、切り捨てて、生きるしかない。この、実体ある社会というものは、とても小さくて、とても狭くて、息苦しい。その中でみんな今の自分ができる精一杯のことを全うするしかないんだよね。それはチェンくんも私も同じことなんだと思う。

チェンくんはチェンくんの生きる社会の中で、責任を全うするしかないし、私も、自分の生きる社会の責任を全うするしかない。同じように生きているんだろうなと思う。それだけで、それがわかることだけで、十分じゃないんだろうか。わからない。ただ、それで十分と言い切ってしまう自分は、あまりにも冷たい人間と言うか、情がないのではないかと思ってしまう。やだやだ行かないで無理無理エーンエーン!! って、どうしてもできない。

軍隊や武力という機構への嫌悪をもちながら、彼の意思を否定することもできない。
ただ、互いに元気でいましょう、健康でいましょうと、祈り合うことしかできないんだろうか。本当にそれだけなんだろうか。SMはがめつくアンニョングッズを出してはくれないだろうか…いやしないだろうな…。

  *

2022年の転役まで、私はいったいその間、何ができるんだろうか。わからん。なにも成し遂げられないかもしれない。まあ年内に仕事は失うので、新しいことをしないといけないのは間違いないので、それを全力でやるのみなんだけど。そうやってチェンくんのことを忘れていくのかな? こんなに好きで、救われて、撃ち抜かれた人のことも、ただの失恋と同じように、だんだん忘れていってしまうのかな。チェンくんがいなくても生きていけるようにならないといけないのはそれは当たり前のことなんだけど、今ここにある、私がこの2年? 1年半? 感じて作り上げて、表してきた感情が、ふつっと途切れる日がきてしまうのではないかと思って、それがとても怖い。これだけ私のことを支えてきてくれた人も、ただの通りすがりだった。それは過去に支えられてきたいろいろなグループにも言えることで、その人たちがいなくなっても、私は生きていけてしまうんだろう。きっと、この数年の間に、チェンくんに対しても同じような感情で、通り過ぎていくのかもしれない。わからない。

連続する「今」が、いったいどこまで続くのか、わからない。

わからないことが、私はいちばん怖い。

 

2020年10月18日 夕食後
手帳にチェンくんの入隊日を書き入れた。来週なんだな。

オタアカ消そうかと思ったけど、やっぱりチェンくんのことが好きなのは変わらないので、見たくない姿をどれだけシャットダウンできるかにかかってるな、と思っている。特に教育部隊にいる間は余計な情報が出回るだろうし、そもそもプライベートなので見たくないし。自分はステージの上にいるチェンくんさえ見られたらそれでいいからなあ。

これ結局、彼の結婚の時と同じで、彼の意思決定に対する感情ってほとんどないというか、結婚だったら「おめでとう!」だし、入隊だったら「気を付けて、元気でね!」だし、それ以上の気持ちって別にないんだよね。

むしろ「結婚」というシステムが作り出す規範的な価値観を振りまく人には腹が立つ。あと国家権力の統制、武力保持のために一般市民の男性が駆り出されるシステムにも腹が立つよね。で、あえて、どこのどのへんが悲しいかと言ったら、そういう社会の大きなしくみの中でしか私たちは生きることができないということなんだよな。結婚してもしなくても誰にも咎められない社会じゃなく、どんな国であっても武力を放棄して戦争はしないと確固たる約束が結べるような社会じゃない、この社会がいやなのだ。

そして、そういう社会の中で出会ってしまったからこそ、このどうしようもない2年の空白が生まれてしまって、私はもしかしたらその間に彼のことを忘れてしまうかもしれない。これまでいろんな人を忘れてきたように、彼のことも忘れてしまうかもしれない。それがすごく怖い。で、それはやっぱり私自身の心持ちの問題であって、彼がどうこうできることではない。社会の作り出したルールの上で、私の感情がもてあそばれている。ただそれだけのことなのだ。

チェンくんは兵役に行っても行かなくても、活動期以外に姿を見せることはないし、個人のSNSもないし、別に表に出てこなくてもいつも通りなんだよね。だから次のカムバを待ちましょうね~っていうだけで、まあそれがたまたま2年くらい時間があくっていうだけで…。バンドでふつうに2年新譜出ないとかふつうなんだよね。相手がアイドルだから期待してしまっているけど、何年もリリースしないミュージシャンなんて大量にいるしね。そうやって考えたら2年なんてふつうに待てるよな…と思うのに。なんだろう、自分の中で「恋」のような感情が多少なりとも芽生えているから不安になるのだろうか。

まあ、人殺しに関わることをさせたくないってのは大きい。大きいのだが、それを私が叫んだからと言って南北の戦争が終わるわけではないし、私がただ「いやだ」と思っているばかりで、「何事もありませんように」と祈るしかないんだけれど。祈るのもすごく、自分勝手な営みで、だからどうなるってことでもない。

とにかく何を考え、何を心配しても、私自身にできることは、変えられることは、何ひとつないのだから、自分の人生を日々淡々と生きるしかないわけだよ。もうこれ何回も言ってるけど。

  *

2020年、コロナもそうだけど、仕事を全うするためにエネルギーを消耗させて健康を失い、挙句、推しは軍に取り上げられてしまうんだね。なんかもう、本当に、つらい。希望がない。

それでも生きていかなきゃならないっていうのが、本当にいやだ。

 

2020年10月19日 朝
何度も目を覚ましてしまう。6時ごろ目が覚めたとき、なんかつらくて、とりあえずSpotifyでチェンくんのプレイリスト聴いて「歌がうまいなあ」と思っていたんだけど、やっぱり悲しくなってきて「アンニョン」が流れたときには、ああもう胸が張り裂けそう、泣きそうってなったけど、まあなんとかこらえた。でも、なんかふと、「〈Dear My Dear〉のポスター、はがそう」って思って、思い立ってすぐ剥いだ。机まわりのこまごまとしたチェンくんは平気なんだけど、壁一面に居座る憂いを帯びたチェンくんを見るのが悲しくなってしまった。笑ってないからかな? 陶器のようで美しいと思っていたものが、今の私には、心のないチェンくん、人間ではないチェンくんのように見えてきて、ああこの子と一緒にいたら、私も苦しくなるな、好きなのに苦しくなるのは嫌だなと思った。チェンくんのことを考えるとつらい。私にはどうにもできないから、忘れて生活しないといけないのに、忘れることもできないし、やっぱり軍隊は嫌だ。結婚も子どももかまわないが、軍隊は嫌だ。そんなものを、兵役を、市民権のひとつとみなしていることが嫌だ。自分たちの大切な人が殺し殺されるかもしれない(たとえそれが本人の愛国心によるものだとしても)のは、すごく嫌だ。チェンくんから歌手としてのキャリアが奪われることもファンとしては嫌だ。そして同時に、同じように、若い時期の数年を、兵役に奪われてしまう若い男の子たちのことも同じように苦しく思う。そういう国、そういう社会、そういう時代に生まれ落ちた以上、その限られた選択肢の中で、一生懸命、いちばんましなチョイスを繰り返していきていくしかないんだろうけど、そのことは何度も何度も自分に言い聞かせているけれど、やっぱりチェンくんに銃を持たせたくないし、規律の中に組み込んで、指揮系統の一部として行動が制御されるというのが、耐えがたいものがある。それがいくら「市民としての義務」だとしても、なんでそんな強制的な方法をとらないと維持できないんだろう? とか、良心的兵役拒否がないのも変だよな、と思ったり。

でも「そういうきまりなんだ」と言われてしまえば、もうそれに従うしかないし、私が口出しすることでなにかが変わるわけじゃないというか、外政干渉みたいなもので。だから自分がいまこうやって感じている、チェンくんへの不安とか心配、韓国の軍事政策を見て、自分の生活、自分の生きる社会の思想として、何が還元できるだろうかと、考えるしかなくなる。n番部屋事件の時も思ったけど、他国の凄惨な事件に怒るのも必要かもしれないけど、自国で起きている性暴力や女性差別、人権侵害、家父長制の弊害、平和を踏みにじり、真理をズタズタにする政治に対して、私は動かなければならないのではないかと思うんだよな。私が手の届く範囲で変えられる社会というのは、そういうもっと小さなことだったりする。チェンくんのようなグローバルなアイドルじゃないしがない貧困アラサーにとってできることは、自分が生きる社会がせめてもう少しまともになってもらうこと、他国の現在を生きるチェンくんの安寧と健康を祈り続けることだけなんだと思った。

そうとしか言えないというか、それ以上踏み込んで考えても、何の答えも出ないんだと思う。チェンくんは自分の人生を生き、私も自分の人生を生きる。その中でまた再び出会えることを、互いの安寧と健康を祈り合うことしかできない。それしかない。それで十分なんだろう。いや、十分なのかわからないけれど、今のこの私にできるのは、チェンくんの幸せと健康を祈り、自分は自分で自分の人生を生きるために努力するのみだと思う。チェンくんのことを忘れてしまう恐怖は拭い去れていないけど、それでも、チェンくんのいない日々を(これまでと同じように)生きるしか、私にできることはないのだと思う。そして、今こここの瞬間にチェンくんのことを好きだと思って苦しんでいる自分がいることは確かなので、それは信じてあげてもいいんじゃないかな、自分よ…、とは思ってる。これは別に失恋ではないので、私はもっと未来を信じていいんじゃないかね? と思う…思いたい。思いたいけど、本当にできるのかは、よくわからない。

 

2020年10月20日 朝
iPhoneの壁紙も、アンニョンのイラストと、サウォリの触角ジョンデに変えた。憂いのあるチェンくんを見てると悲しくなってきちゃって、何もかも遺影というか、悲しい、残されてしまった、置いていかれてしまった、先にどこかに行かれてしまった気持ちになって、どうしたらいいのかわからなくて苦しくなってしまう。好きなのは変わらないのだけど、だからこそ、今まで見ていた美しいものが急に生気を失ってしまうというか、色をより失ってしまうというか、「美しい」ことに耐えられないほどの現実に打ちのめされてるなーと思う。

「韓国で男性として生まれたからには、国防の義務があって、兵役に行くことが当たり前、というのが「ふつう」の感覚なんだ」とソンセンニムが言っていた、と、韓国語のレッスンを受けている友人から聞いて、ああ、その「ふつう」というのが、いったい何なのか…私にはわからないんだろうなと思った。

国とは何か、国を守るとは、兵力を、軍隊をもつということは。男性というジェンダーについて。そこに限定されて義務が与えられているということは、何らかの市民権が男性のみに与えられている、ともいえるのだろうか。韓国のフェミニズムは、軍隊の問題とどこまで関連しているのか、あるいはしていないのか(単に儒教的な、家父長制的なものに由来しているだけなのだろうか?)。

義務。義務って何なんだろう。どうして国民でいるために、何かを成し遂げないといけないんだろう。国が、軍隊をもつ権利があったとしても、それを一般人までに拡大しないとならないような戦時体制が敷かれてしまっているのは、どうしてなんだろう。

どうして戦争が起こるんだろう。やめられないんだろう。武力を持たないといけないんだろう。それが国同士で向き合うこともあれば、市民に対して向くこともありうるものである以上、誰かを、何らかの思想や行動を統制し、抑圧するものであることに違いない。国防ではなく、国民の統制に用いられることが軍隊の役割のひとつなんだと思ったんだけど、その「統制」を受け入れてしまっていいのかどうかが分からない。

あれか。「学校に行くこと」がふつうなように、「軍隊に行くこと」もふつうなのか。国民として教育されるという意味では。力の有無、対象の違いはあれど、誰もが国の統制を逃れられない(逃散できない)以上、その狭い社会の中に残された選択肢を使って、必死に生きるしかないんだろう。それがつまりは「ふつうの人生」なのだと。

そしてその「ふつう」であることというのは、結局、「韓国の男性」ではない人間にとっては一生分からない、理解しえない経験なのだと思う。私が、学校へ行った人たちの人生が分からないように、学校に行けなかった私の人生が分かってもらえないように、立場が違う以上、全く同じような感覚で互いを理解し合うということは不可能なんだと思う。

たとえ生活の断片(集合写真、給食、訓練のようす)が垣間見えたとしたって、私たちはそこから何かを分かり合うということはできない。「元気にしててよかった~」というのはこちらの勝手な想像で、軍隊にはあくまでも「元気にしている」ということを見せるために情報開示をしているだけだから、なんていうか、これは本人とのコミュニケーションではなく、他人にゆだねられた、しかも彼ら自身にコントロールする権利のないコミュニケーションなのでは、と思うと、やっぱりどうしても「私が見たいのはそれじゃない」となってしまう。

これまでもずっと、チェンくんは他人だから、一生分かり合えることはないだろうと思ってきたし、今でも思ってるし、そこに変わりはない。ただ、なんていったらいいのかわからないんだけど、生きている社会が分断されてしまったというか、権力とか、国とか、武力とか、戦争とか、義務と責任とか、「ふつうの人生」とか、そういう自分ら人間よりもずっと大きくて巨大で強くて力のある概念によって私たちが編み出してきた関係をばらばらにさせられてしまった…というように、私は感じてしまうのかもしれない。

もともと私たちはばらばらで、ばらばらな人が寄せ集まって作っていたチェンくんとスンディンイの世界だったはずなのに、チェンくんにも私たちにも抗いようのない大きなものでぐしゃぐしゃにされてしまったような、そんな、そんな被害者めいた気分になる。一生懸命、互いを、分かり合えないと知りながら歩み寄ろうとしていた私たちの関係が、私たちの思いとは裏腹に、破壊されてしまったような、そんなかんじなのかもしれない。

でもそんなふうに「被害者」のようにふるまっている私は所詮エンタメ産業の「消費者」のひとりでしかなく、国家とか市民権とかそういったものを出されてしまうと、ただただ、黙るしかなくなってしまう。他国の人間がよその国の政治に対して、自分の消費欲を満たすためだけに文句をつけるのは筋が通っていない。

そしてそれは、まわりまわって、韓国で「ふつう」に生きるチェンくんの人生を否定することにもつながっていくのではないか――たとえば「兵役はおかしい! 徴兵制はおかしい! 早く南北和解すべき!」みたいなことを私が言ったところで、私にできることはないし、むしろチェンくん自身が韓国の国民としてできることがあるかもしれないのに、そこを無視して自分の倫理観でヤダヤダするのはなんか…品がないというのか、立場を見誤ってるという感じなのよね。

私にできることは何もない。

せめて私が、今の日本で、武力を持つことはよくないとか、戦争はダメだとか、そういった思想を受け継ぎ、絶やさずにいくことのほうが、私にとっては身近にできることなのかもしれない。

そして、チェンくんのことは、遠くの他人として、安寧と健康を祈るだけで十分なのだ。

そしてこれはすぐに受け入れられることではないんだろうなと思う。今はまだ入隊前で気が動転しているというのもある。2022年まで、たぶんゆっくり受け入れたり、忘れたり、しながら、祈り続けるだけなんだろうなと思う。焦ることはない。見たくないものは見なくていいし、過去のチェンくんにすがって生きたっていいと思う。イメージを私の中に生み出し続けられるのなら、それで私はきっと消費者としては満足するのだと思う。

そう、所詮私は消費者で、彼は商品として提供されているだけ。そういう関係だったのだ、大前提として。そこにあまりにも「心」というのか、「情」が生まれ過ぎてしまった、というだけのこと。「心」それ自体、チェンくんのものであって、売り物じゃないし、「情」は私が勝手に芽生えさせただけだ。

だから、そうだな、やっぱりこの不安やつらさ、喪失感は、私の「情」ゆえのもので、彼にどうこうできることではない。またいつか、ステージの上と下でもう1回で会える日を待つことしかできないし、それで十分で、それ以上踏み込んでも、チェンくんの「ふつうの人生」を踏み荒らすことになるのだと思う。そういうことはしたくない。だからなるべく情報はシャットアウトして、自分の「好き」に集中させていけばいいと思う。それしかないと思う。私の行動としては。

そして、それとは別途、知識・教養として、国家や安全保障、国際関係論については勉強しないといけないんだと思う。わからないから放置してしまいがちだし、きっと生活に圧されて、チェンくんかわいい!!!!!という気持ちが勝ってしまって、何も進められないんだろうなとは思うんだけれど。

 

2020年10月22日 早朝
兵役に行くことであらぬ噂がたくさん出回ってくるのは間違いない。むしろ兵役のことを「反省」のように捉えてる人もいる気がする。チェンくんのことを許せない人はたくさんいて、彼に厳しい言葉や示威行動をする人たちがいて、私はその人たちの人権感覚が全く分からないけれど、これからもそうやって他人にご機嫌を取ってもらうためにイヤイヤ暴れるんだろうな。かわいそうに。そういうくだらない人たちからチェンくんのことをどうやったら守れるのか私にはよくわからない。お金を払うことしかできないので、とにかくカネを払い続けようと思う。

チェンくんが…彼本人が今何を考えているのか、私にはわからないし知る由も、知っていい権利もない。私ができるのは、彼がそう決めた、という事実を受け止めるだけだ。そして、私たちはそれ以上互いに踏み込み合うこともできない。私たちはそういう関係なのだと改めて思った。私たちの間には超えようのない一線があって、互いがそこを尊重し合いながら、踏み込み過ぎないように、互いに思いを伝えあう。それがチェンくんとスンディンイの交流のしかたなんだよなと思う。

「アンニョン」のMV、最後、彼は、朝焼けの空が広がる水辺にできた桟橋を歩んでいく。歌いながら歩みを進めて、朝焼け色の中で言葉にできなかったことを歌う。あの朝焼け色は、9月の誕生日前に、スンディンイからのメッセージブック企画で製作された装丁の配色とほぼ一致していた。あれが意図的なものなのか、そうでないのか、私には知る由もない(が、偶然にしてはあまりにも「出来過ぎている」)。

最後、場面は暗転して、暗闇の中で彼は再び立ち止まる。

私はあれを、1月の件で彼から離れていった多くの人たちへの、最後の拒絶の言葉だと解釈してしまう。

というか、スンディンイにとってはこのあいだ送った手紙の返事として受け取れるけど、そうではない人たちにとっては、1月の手紙の返事というか、追伸のように聞こえるのかもしれないなあと思った。彼は、あれだけのことを言われても、その人たちに対して、謝ることをせず、自分の意思を伝えたくて、ただ次につなげる言葉選びに恐れて、長い時間が経ってしまったね、という。そしてこの思いが伝わっても伝わらなくても、あなたが安寧で元気でいることを祈る、という彼の言葉(いや作詞は別の人だが)は、スンディンイにとっては最大級の愛情だけど、それ以外のアンチとか反感を持っている人には拒絶の言葉として伝わるようにできてるんだな、すげーな、と思った。

そして同時に、チェンくんを取り巻く一連のことを何も知らない人が聴いても、「伝えられない気持ちを海へと流すような愛の歌」に聞こえるんだろうなと思う。告白すること、伝えられなかったことを抱えたまま、ただ相手の安寧を祈る。

これほど普遍的な愛の歌であることを、何度も何度も聴くまで気づけなかった。

そして、今、私は、怖くて「アンニョン」が聴けないでいる。

感情がかき乱されすぎて落ち着かなくなってしまうから、チェンくんとは少し距離を置くようにする。

悲しいとかつらいとかはあまりなくて、なんというか、自分の倫理観に反することを、チェンくんの兵役を通して間接的に肯定してしまうのではないか? という恐れがある。もちろん他国のことだし、軍隊を持つ権利ってのがこの国際社会にはあって、それを正当に行使して、国防をしているだけなのだが、だからそれ自体はやっぱり安易に蹴散らせるものではないんだが、しかし、暴力を生むシステムの中に組み込ませるのが本当に嫌で、それが彼の意思で、彼の国では「あたりまえ」のことなのだとしても、その「あたりまえ」を素朴に受け止めてしまうことが、すごく居心地が悪い。私の倫理に反してる。でもチェンくんの人生の倫理というか、責務としては、何ら異状ではなく、むしろ市民としての権利であり、義務でさえある。だから彼が韓国で生きていく限り、これは逃げようのない現実なのだ。

それは分かっている。無事に、怪我なく戻ってきてねと思っている。

でもそうやって送り出す自分の中に、どうにも、ぐじゃぐじゃとした、「本当にそれでいいのか?」という疑問が首をもたげてくる。

暴力の連鎖を生み出す組織、管理・規律・統制によって人の行動をコントロールし、兵卒というコマにさせられること。チェンくんが被害に遭わなかったとしても、別の誰かと誰かは、それらの抑圧に負けて、いじめや暴力に発散していくことは、もう構造として避けられない。

チェンくんさえ、つらい思いをしなければいいのか? チェンくんだけが大切で、他の名も知らぬたくさんの若い男の子たちが暴力の加害者/被害者になることを、それが予見しうるにもかかわらず、そして「軍隊」というシステムはそういう暴力の発現と切り離すことができない以上、「安寧」なんていうものは、夢のまた夢なのではないか。

チェンくんの意思は尊重するし、そこに口出しする気はない。問題は、チェンくんのことを尊重することで吹き上がってくる自分の中の倫理観(とりわけ暴力に対する拒絶反応)が沸騰してきてしまって、それをコントロールできないこと。「つらい」というのであれば、私のつらさは、相手を尊重することによって生じるつらさであって、自分の好きな人がステージからいなくなるさみしさとはまた異質なもののような気がしているのだった。

なんというか、ステージに立たない期間が長いとか、新譜のリリースが数年単位とか、そういうのはインディーズバンド畑からやってきた人間にとっては別に大したことではないのでいいんですよ。歌手としてのキャリアが断絶されることももちろん悲しいけれど、それも私にできることは何もないわけで、彼自身の自己研鑽の次元のことだから、私には関係がないし。アイドル・歌手としてのすがたが見られないのは残念だけど、それは別に、兵役行ってなくても彼は常に供給がないからそんなに日常が変わることはない(インスタ更新しまくったり、ファンとの交流や、疑似恋愛をさせるようなアピールをしていた人たちとはコンテンツ減少の体感が違いすぎる。こちらは「ない」のが日常なので)。

なのでやっぱり、なんというか、武力、軍隊、暴力のシステムの中に、彼が組み込まれてしまうことが、いちばん嫌なんだろうなと思う。銃を持たせたくない。

で、システムそれ自体を嫌だと思うことは、同時に、チェンくん以外の多くの男の子たちに対しても同じように、こんなシステムに巻き込まれてほしくないよな、と思ってしまうんだよな。自分の好きな人だけが救われたり、特別扱いされたらいいって話ではない。

ここまできたら考えすぎなんだろうか。わからない。

 

2020年10月23日 深夜
去年はEXOの横アリに行ってたなんて、まるで嘘みたいな今日。あの時から私はすごく変わってしまった…悪いほうに。あの頃は自分の好きなものに一生懸命だったのにな。今の自分はなんだ。自分の仕事と理想の間で溺れ死んでる。

  *

チェンくんのことを思い出さないようにするために仕事をしようとしているところもある。あと3日。私はきっとツイートもできないし、ブログも書けない。きちんと見送ることはできないだろう。今のこの精神状態は、とてもじゃないけど、まともな人間でいられない。ほかの人の反応を見るのもしんどいし。チェンペン失格と言われても仕方ない。それが今の自分の気分なので、その気分を守ることのほうが先だ。チェンくんの安寧と健康は、幸福な人生なことは、言葉にしてもしなくても、いつでも祈っている。きちんと見送れなくても、私の気持ちは変わらず、彼の幸せを祈るだけだ。

 

2020年10月24日 夕食後
仕事に打ち込んでいたらチェンくんの入隊のことも忘れていられるというのはある。もうあさってなんだけど、全く実感がない。彼が表に姿を見せること自体がそもそもないので、至って普段通り、という感じでもある。チェンくんは1ヶ月、たいへんな訓練を受けるわけだから、私も11月の1ヶ月は、チェンくんと同じように……というか、チェンくんなんかよりもずっと命の危険もないところにいるんだから、がんばらないとね、と思う。それで2022年にまたお互いに出会えればいいよね、その間はお互い、それぞれの与えられたところで精一杯生きるしかないよね、と思ってる。

Twitter見てて、みんな坊主にすごい警戒してて、そうかそうだよな、と私も思ったんだけど、実物見ないとわかんないなー。私が髪型に思い入れがないから、あんまりぴんときてないのか。ビジュアル面への不安ってそんなにあんまりないな。制服とか軍服とかそういう、統制のための見た目の管理への気持ち悪さ、規律への不快感はあるけど、まあ坊主もその一環なんだけど、ふしぎと頭髪への執着心が私にはないようだ。私はたぶん、軍服のほうが無理だなあと思う。

そういえばあまりきちんと調べていなかったのをふと思い出して、韓国の良心的兵役拒否について調べてみたら、去年、信仰を理由にした兵役拒否への罰則は違憲であるという最高裁の判決が下りたそうで、「宗教的理由による兵役拒否者」は、刑務所や拘置所で宿舎生活を送りながら36ヵ月の代替服務をおこなうことになったらしい *2。つまり「罪」「処罰」の対象ではなく、ある意味では良心的兵役拒否制度が始まった、ともいえるのかもしれないなと(制度とまで言っていいのかはわからない)。なので、兵役を拒否して有罪になっていた人たちはその判決が取り下げになる代わりに、36ヵ月はたらくことになる。いわゆる「前科」にはならないということだろうか。それだけまだましなのか、わからない。この10月から第一回目の人たちが服務開始したそうなので*3、これからどうなるかは見届けないとなあと。信仰の自由っていうのもいったいどのレベルでの信仰なら許可されるのか、それをどう説明するのかとか、そういう手続きに関心はあるのだが、誰かどこかにレポートしてないだろうか。あと、こうやって政府の態度が制度的に軟化したとしても、「韓国に生きるふつうの男性」から見ると、「拒否」したという点でスティグマ化されることは避けられないだろうし(「良心的」という表現を政府が採用しなかったのは、兵役を拒否しなかった人たちに良心がないことをイメージさせてしまうから、みたいな理由だったし…)、「よかった! 韓国にも良心的兵役拒否が認められた!」と素直に率直によろこんでいいものなのかどうかも、情報が少なすぎてよくわからないが、少し胸をなでおろしたところがあるのは否定できない…。

だからといってアイドルたちはここを使って「兵役逃れ」とかは絶対ありえないだろうから、K-POPを消費する側としては何の変化もないのかもしれないが、少なくとも韓国ではそういうふうに柔軟に時代に対応していくことができるだけ、ずーーーっと日本よりましなのかもしれないと思ってしまった。学術会議のこととか、本当に話がかみ合っていないのを見てると、政府っていったい何なの? と思ってしまう。なにがしたいのかわからない。私たちの市民としての自由や基本的人権を尊重するとか守るとかそういう気はさらさらないのだなーということはよくわかる。

 

2020年10月25日 昼前
昨日の夜は本当に寝付けなかった。NIveさんの曲をずっと聴いて、感情を揺さぶりすぎたのもあったのかもしれないけど、チェンくんがいなくなった後、そして今の仕事を失ったあとの自分がどうやって生きていったらいいのか、なにもわからなくて、本を買おうとか、本棚を買おうとか、家具みたいな大きいものを買おうとしたり、なんかこう、どうでもいいようなことに脳が奪われて、眠りを妨げられているなあと思う。

心に沁みこみすぎる曲は、聴きこみすぎないほうが、吉。

チェンくんの曲がまさにそれ。

チェンくんが明日入隊する実感がまるでわかない。そんなことより、今の自分がしんどくて、仕事とか人生とかがしんどくて仕方ないことのほうが私をつらくさせる。私自身がわたし自身に押しつぶされているっていったらいいんだろうか。やっぱりチェンくんは他人だから、私に悲しみ? つらさ? 喪失感? を与えたとしても、所詮他人だから、私を救うことはないし、逆にいうと致命傷にもならないのだ。

私のことを傷つけるのは、会社の人や家族とかファンダムとかで、チェンくんはそこから私を守ってくれるものだったから。

でも、それでもやっぱり歪んでいて、「アイドル」という都合の良い存在に依存して、消費を肯定して、「安心」を買っていただけなんじゃないか。いや、っていうか、買ってるんだよ、「安心」を。だから別に、チェンくんやBTS以外にも「安心」を売ってくれる人たちはたくさん用意されているのだから、その中から自分の好みのものを選べばいいのかもしれない。実際にそうしている人たちもいるだろう。それは全く悪いことじゃない。なんだけど、私にとっては「安心」を、私がほしかった「安心」の関係性を売ってくれていたのはチェンくんだけで、それ以外に誰一人として同じ人はいないのだ。

「人間と人間として関わり合いたい」と思うということは、やっぱり、互いの個々の存在の代替不可能性を含んでいると思っていて、だからこそチェンくんが、誰とも替えのきかない人間として互いに尊重し合いたい、ということを言ってくれた(と私は解釈しているんですが)のが、私はとてもうれしくて、でも、うれしかったから「買う」ことにしたのだろうか…? わからない。でも私はそういうことを言うチェンくんのことがすごく好きだと思った。ステージの上と下ではっきりと引かれた一線があって、でも互いに「人間」で、踏み込み合わないように、お互いの人生を生きようって、私は、チェンくんの言葉からそう受け取っている。

SNSは毒なので、あまり見ないようにする。チェンくんの見送りイベントにも参加しない。自分の中でチェンくんと対話できればそれでいいと思ってる。

2022年になったら、自分はどんな人間になっているんだろうか。全く想像がつかない。そもそも明日、あさって、来週、来月の自分のことさえ、私にはわからないのに、1年半後のことなんて予想できるはずがない。

でも、こんなにうつで、こんなに不安で、こんなにつらくて疲れていても、未来のことを考えてしまう自分もいるがとても不思議だ。

そのころになったら別のことに夢中になっているかもしれないし、でもそれに罪悪感を覚える必要もないんだろうけど。

  *

NIveさんの曲をずっと聴いていて、今の自分にはとてもちょうどいい。サウォリを作った方だそう。チェンくんはいい音楽とつないでくれる。10cmとかもそうだけど、チェンくんを中心にして音楽の幅が広がっていくのはとても楽しいことだと思う。

アイドルの推しを見つけるかどうかはわからない(WayV見てるし、ルカスとヘンドリとウィン子さんに興味はあるけど)。ものすごくそこにハマるということはないんだろうなーと、何となく思ってる。

ドルオタじゃないもんな、私、もともと。そもそも私は田舎者のガリ勉でしかないから、自分の人生を楽しむということが、30歳になってもよくわからないのだった。

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25日 夕食後
今の精神状態で元気にチェンくんを見送る自信がないのでいろんな情報をシャットアウトしている。明日、メンバーのインスタに何かがアップロードされたら、それはみるかもしれないけど、それ以外のことについてはなるべく触れないようにしておこうと思う。傷つくというより、今の自分の生活するエネルギーに対してダメージが大きすぎる。ツイートしなくても、自分の中で、2022年4月までお別れすればいいのだよ。4月が過ぎたら別れましょうじゃなくて、4月になったらまた会いましょう、なんだな、今回は。チェンくんにとって、4月はキーになる月なのかもしれないね。知らんけど。

新しい推しを見つければいい! とか思ったけど、それで威神ちゃんの動画とか見て、笑ったりするけど、でもこれはジョンデじゃないし…と思ってしまう。推しは分散させておくようにしろとみんなが言うのがよくわかった。私は誰を見ても「チェンくんじゃない」となってしまう。「チェンくんだったらこうだろうな」「チェンくんだったらどうするんだろう?」みたいに、チェンくんが基軸になってしまうから、別の推しを決めるというのはできないかもしれないな。なんかずっと囚われているみたいで重たくていやだな、たかがアイドルなのに。

  *

私の人生は私自身で変えていくしかないからさ、だから、なんていうか、チェンくんに依存せず、彼の才能は音源としてたくさん残してもらえたのだから、それを味わいつくしておけばいいんじゃないのかね。わかんないけど。これまでいろんなバンドについたり離れたりを繰り返してきたように、聴き続ければいいんじゃないか。音楽は変わらないままでここにあるわけだから。

  *

何事もなかったかのように過ごしたい。チェンくんがどうあろうと、私には関係がない。関与しえない。そして彼も、私の人生を変えてくれるわけではない。私は自分で変わるしかなくて、それを今はしないといけないわけなのである。うん。

 

2020年10月26日 深夜1時
ぼーっとしてるとチェンくんのことを考えてしまう。どうか健康で怪我なく、職務を全うしてきてほしいという祈りだけがある。私はクリスチャンじゃないけど、ジョンデはカトリックなので、イエスに祈れば彼のことを守ってくれるだろうかと思って、少しだけ祈った。

  *

Twitterではストリーミングパーティなどが開催されていたようだが、とてもそんな気にはなれない。ズーンとして、ひとりでさよならをしている。ファン失格なのかわからない。でもこういう一線の引き方をすることも許容してほしいと思ってしまった(誰に?)。

 

2020年10月27日(D-545) 朝
昨日はチェンくんのことを忘れていたかったからとにかく仕事に打ち込んだ。打ち込んでいたらいつのまにか21時になっていた。働きすぎたと思った。

  *

写真が出回っているのをようやく見つけたら、チェンくん笑ってて、つるつるむきたまごだった。むきたまごの真骨頂だった。あまりにもかわいくて笑っちゃった。安心した。やっぱりこの子はどこへ行ってもうまくやれる子だなって思った。すほちゃんも業務中にかけつけてくれたみたいで写真に写ってた。頭部が他のメンバーに覆われすぎて、5分刈りがどういう状態なのか全く目視で確認できなかったので「もしや毛根が…!?」とたいへん気になったが、毛根が死んでようが生きてようがジョンデはジョンデなので好きに変わりないです。見せたくなかったんだね、と思った。

これでチェンくんは2022年4月25日まで一般人。だから私は彼のこれからを深く追わない。軍が供給する写真もあまり見ないようにしたい。彼がふつうの韓国の男の子として生活している(このことに国防の義務が含まれていることの是非はともかくとして)ところを邪魔しないようにしていきたい。そして自分はチェンくんが戻ってきたときに、どれだけ成長できているか、それも重要だと思ってる。ただただいなくなることを悲しんでも仕方ないので、自分の人生でできることを、精一杯やるしかないのだよな。それはチェンくんも、スンディンイも、みんな同じ。

なんかこう、前向きな気持ちにしてくれる子を好きになれて、私は本当に運が良くて幸せだったと思う。チェンくんほんとうにありがとう。チェンくんと出会ってからの1年半は、つらいしんどいいやになることもあったけど、自分の人生を生きるということの大切さを、他人の人生を尊重することの大切さを学んだ、実感した気がしている。それくらい、私には、衝撃的な存在だった。

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私はチェンくんのことを「一生好き」とは言えないし、2022年に何を思っているかさっぱりわからない。すっかりK-POPから脱している可能性もある。ただ、今この瞬間がいつまで続くのか気に病んでも仕方ないので、今の気持ちを共有できていれば、それでいいかなーと思う。

 

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2020年11月2日(D-539) 夕食後
精神的に耐えられなくてすっかりチェンくんの歌を聴けなくなっていた。夜寝る前は無理だけど(不眠の記憶と結びつけたくないから)、お昼寝や、朝の二度寝するときなら、チェンくんのプレイリストを聴けるようになってきた。歌がうまいなーと思うし、とてもすごい才能だなーと思う。いい声だよね。年齢を追うごとに声の質のコントロールがすごく巧妙になっているのが分かるのが、ほんとうにすごい。「アンニョン」を聴くと、まだちょっと悲しくなる。でもお互いに元気でいましょうねっていう約束だよねー、って思ってる。私はいま元気じゃないけど(笑)。

 

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*1:この手書き日記のほとんどは仕事と成育歴と人生のことを書きとめているもので、チェンくんのことに触れているのはほんとうにほんとうにほんと~~~~~~~~~~~~うに少しだけなのですよ…いったい1ヶ月で自分は何十万字を手書きで書いているのかだろう…というか悩みすぎでは…と怖くなりました

*2:「良心的兵役拒否者」の代替服務を容認 期間は3年=韓国国会で可決│韓国政治・外交│wowKora(ワウコリア)

*3:‘良心の自由’ 韓国の兵役拒否者35人、代替服務…創軍以来初(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース